PageTopButton

食通の街、福岡を支える立役者12 「ラ・ターブル・ド・ プロヴァンス」経営する野村健二さん

飲食店がひしめき、全国の食通が注目する街・福岡。この街で、食を通して人々に笑顔を与えている、料理人やソムリエがいます。彼らをゲストに迎え、ここ10年でのべ1万軒外食している弓削聞平と、世界中の食を語れるアナウンサーになりたい田中みずきの2人が、その情熱の源に迫ります。
~RKBラジオ 弓削聞平スマイルディッシュ(2021年3月に終了)より~

「重大発表です!」と切り出した田中アナ。なんと『弓削聞平スマイルディッシュ』が一旦終了という残念なお知らせ。これまで番組を聞いてくださった、そして読んでくださった皆さまに心から御礼申し上げます。また再開することを祈って(ひとまずは)最後のお店をご紹介します。

「この番組でたくさんの料理人をゲストに迎えました。一番印象的なのは、福岡の飲食業界って、横の繋がりがすごく強いってことです。皆さんライバルなのに、協力しあって仲がいい」と田中アナは1年を振り返ります。

「東京の人にもそう言われるんですが、福岡の地域性によるところのようです。街がコンパクトだということだけでなく、同業者間でのコミュニケーションがすごくよく取れている。店が終わった後にいっしょに食事に行ったり、皆さん集まって生産者を訪ねたり、コラボイベントしたりと、すごい『密』ですね」と話す弓削さん(そういう弓削さん自身もきっと皆さんの繋ぎ役になっているのでしょう)。

切磋琢磨し成長していく福岡の飲食店オーナーたち。まずは師匠と弟子の縦の繋がり、そして「密」な横の繋がりが、とてもしっかりしている。それが、福岡の飲食業界を盛り上げている大事な要素の一つだと弓削さんは分析しています。

最後のゲストはフランス料理「ラ・ターブル・ド・プロヴァンス」(福岡市中央区赤坂)のオーナーシェフ・野村健二さん。福岡に店をオープンして20年、野村さんの元で修行し独立した人たちもたくさん活躍している有名店です。「『ラ・ターブル・ド・プロヴァンス』といえば、美味しいフレンチ食べたいなと思ったらまず最初に挙がるお店ですよね」と田中アナ。「オープン当初のお客さまが20年いっしょに歳をとって、今でも来てくださってます。 若い方や、記念日にと利用してくださる方も多いです。特別な日に足を運びたくなるようなスペシャルな料理をご用意しています。僕としては、肩肘張らないフランス料理店を目指して店をオープンしたんですが、フランスで修行したのが名店でしたので、お客さまの期待がそこにあったようなんです。それで、『どんな料理が出るんだろう?』『今度は何を食べさせてくれるんだろう?』というご要望があって。それにお応えしているうちにリーズナブルな設定ではいられなくなったんです(笑)」

野村さんのフランス修行について聞いてみました。「2回行ったんですけど、最初23歳で行った時は自分の力の無さを思い知らされてすごすごと帰って来ました。それで勉強し直して再チャレンジ。店に手紙を書いたりしましたが、日本人の先輩がいたりという幸運もあって、2度目の渡仏では三ツ星の店で修行ができました」

この2度目の渡仏が30年ほど前の話。「言葉とかどうだったんですか?」と弓削さん。「調理場で使う言葉は多少分かるんですけど、その他は全然話せなくて、ポケットに小さな辞書を入れてました。でも若かったというのもあったのか、コミュニケーションは取りやすかったです。とても優しくしてもらいましたよ」

「フランスで学んだ事ってどんなことなんでしょう?」という田中アナからの質問に、「やはり自分の目で本場のものをたくさん見た事ですね。同じフランスでも地域ごとに特徴が全くちがうので、南フランスの地域性を肌で感じられたことも大きいです」

日本に戻り、いざ自分の店を持ってみると、雇われていた時とオーナーシェフでは何もかもが違い、何度も壁にぶち当たったそうです。「壁を一つずつクリアしていくことで、少しずつ良い方向に繋がっていきました。僕は運がいいんです。人に恵まれています」と野村さん。徐々に軌道に乗り、2号店3号店と出店しました。「イタリアンレストランバーと、隣には洋菓子店も作りました」

イタリアンを出したのは、修行時代にイタリア料理の落合務シェフ(「ラ・ベットラ・ダ・オチアイ」)から学んだ経験がありました。また修行した南フランスのすぐ隣はイタリアで、気候風土や料理が似ていることから、フレンチの野村さんがイタリアンの店を出すことも自然な流れだったといいます。のちに素晴らしいシェフとの出会いもあり、イタリアンの店をもう1軒出店、経営は順調でした。

「そこにリーマンショックです。最初は何が起こったのか理解できませんでした。接待で使ってくださるお客さまが全くいなくなったんです」
料亭や高級レストランは接待の利用客が多かったので、衝撃だったと振り返ります。

「どうやって乗り越えたんですか」と田中アナ。「スタート地点に戻り系列店を閉めました。赤坂のこの店(ラ・ターブル・ド・プロヴァンス)だけを残して。あ、借金も残しましたけどね(笑)。あの、店を閉めた時の後片付けの虚しさは忘れられません。僕のような前しか見ないで突っ走ってきた人間にとって、先のない片付けはきつかったです。明日があるならいいんですけどね」

「それでも、それぞれのお店のスタッフの皆さんが経験を積んで独立されましたよね。パティシエ、サービス、ソムリエと、料理人以外の独立者もたくさんいるのが面白いと思いましたよ」と弓削さんは微笑みます。毎年、野村さんの誕生日と忘年会は皆で集まるのだそう。「どうやってスタッフを育てているんですか」という弓削さんの問いに野村さんは 「僕は何もしないんですよ。指示を与えるより各セクションでそれぞれ考えろというスタンスなんです。僕はこの『ラ・ターブル・ド・プロヴァンス』という形を見せるだけで、スタッフに多くは語りません」

料理人の修行も時代と共に変わってきてはいるものの、野村さんは信念を貫きます。「放っといた方がいいと思うんですよね。教えても結局は忘れてしまう。ひとつずつ自分で考えて、ひとつずつ身体で覚えたほうがいい。僕の先輩方もそうですが、多分みんなまだ自分が一番だと思ってる(笑)。その背中を見せ続けることが自分のモチベーションなんです。最高の料理人でいること、そして楽しく仕事している姿を見せることが、次の世代に繋がっていく。スターシェフとかどんどん出てきてほしいですよね!」

福岡の飲食業界をこれからも盛り上げていってください。素晴らしいお話をありがとうございました。

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう

radiko 防災ムービー「あなたのスマホを、防災ラジオに。」