RKBドキュメンタリー映画祭 ペア招待「お母ちゃんが私の名前を忘れた日 ~若年性アルツハイマーの母と生きる~」
RKBドキュメンタリー映画祭
若年性アルツハイマー型認知症と診断された母との「二人暮らし」を決意した“独身アラサー女性”に密着し続けている、母と娘の記録。
娘の岩佐まりさんは、【ケーブルテレビ局のリポーター】や【イベントの司会】で生計を立てるフリーアナウンサー。取材開始当時、家賃7万円・1Kの部屋に母と暮らしていた彼女は、30歳・彼氏無し。仕事はもちろん、遊び・恋愛、そして結婚も本格的に考えたい年頃にもかかわらず、最愛の母を襲った病によって、手探りの在宅介護の日々に追われていた。
いまだ根本的な治療薬は無く、ただただ進行する姿を見守るしかない認知症介護の日々…。母の不穏による暴言・暴力、そして徘徊。日を追ってできることが少なくなってゆく母の姿を見つめながら、なるべく笑顔で過ごすことで、乗り越えようとする娘―。
そんな彼女が5年前、取材中に母の前で約束した夢が、「お母さんとバージンロードを歩きたい」。
そんな中、2020年。仕事で再会し、意気投合した高校時代の同級生と、“交際0日婚”することに。だが一方でお母さんは、ほぼ会話することも、自力で歩くこともできなくなっていた。さらに夢を阻むかのように追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルスによる自粛ムード…。それでも、“ある特別な結婚式”に踏み切った彼女の、母への思いとは?そしてウェディングドレス姿を目にした、お母さんの反応は?
取材開始当時、巷では「認知症800万人時代」とのセンセーショナルな見出しがメディアで躍っていた。高齢者が増え続ける現実に対し、社会保障費を抑制せざるを得ない政府。その間に生まれた“シワ(歪み)”は、患者や家族にどんな日々を強いているのだろうか?
「認知症介護」という単語だけで決して括ってはいけない、100人100様の介護生活、そのほんの一端ではあるが、長期にわたり、病気の進行・家庭環境の変化、そして介護者の心の機微に迫った、6年間の記録―
テレビでは2014年から6年に渡り密着し続け、3回放送。反響を呼び、取材対象者の人生が書籍化もされた。この機会に放送尺に収まりきらなかった収録素材を交え、改めて紹介する。
娘の岩佐まりさんは、【ケーブルテレビ局のリポーター】や【イベントの司会】で生計を立てるフリーアナウンサー。取材開始当時、家賃7万円・1Kの部屋に母と暮らしていた彼女は、30歳・彼氏無し。仕事はもちろん、遊び・恋愛、そして結婚も本格的に考えたい年頃にもかかわらず、最愛の母を襲った病によって、手探りの在宅介護の日々に追われていた。
いまだ根本的な治療薬は無く、ただただ進行する姿を見守るしかない認知症介護の日々…。母の不穏による暴言・暴力、そして徘徊。日を追ってできることが少なくなってゆく母の姿を見つめながら、なるべく笑顔で過ごすことで、乗り越えようとする娘―。
そんな彼女が5年前、取材中に母の前で約束した夢が、「お母さんとバージンロードを歩きたい」。
そんな中、2020年。仕事で再会し、意気投合した高校時代の同級生と、“交際0日婚”することに。だが一方でお母さんは、ほぼ会話することも、自力で歩くこともできなくなっていた。さらに夢を阻むかのように追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルスによる自粛ムード…。それでも、“ある特別な結婚式”に踏み切った彼女の、母への思いとは?そしてウェディングドレス姿を目にした、お母さんの反応は?
取材開始当時、巷では「認知症800万人時代」とのセンセーショナルな見出しがメディアで躍っていた。高齢者が増え続ける現実に対し、社会保障費を抑制せざるを得ない政府。その間に生まれた“シワ(歪み)”は、患者や家族にどんな日々を強いているのだろうか?
「認知症介護」という単語だけで決して括ってはいけない、100人100様の介護生活、そのほんの一端ではあるが、長期にわたり、病気の進行・家庭環境の変化、そして介護者の心の機微に迫った、6年間の記録―
テレビでは2014年から6年に渡り密着し続け、3回放送。反響を呼び、取材対象者の人生が書籍化もされた。この機会に放送尺に収まりきらなかった収録素材を交え、改めて紹介する。
監督プロフィール
映画概要
堀江將一郎(ほりえ・しょういちろう)
1975年生まれ、東京都出身。2010年9月末日、TBSビジョンを退職し、翌10月に株式会社てびも設立。『サンデージャポン』には2001年の立ち上げ時より参加。以降、断続的にディレクターとしてサポート。現在は主に報道VTR・取材担当、ドキュメンタリー企画担当。「有吉ジャポン」「世界遺産」「夢の扉+」「ビビット」「サタデーずばッと」「プロ野球好珍プレー」「桜井・有吉のアブナイ夜会」その他、企業映像制作などを手掛ける。
若年性アルツハイマー型認知症と診断された母との「二人暮らし」を決意した“独身アラサー女性”に密着し続けている、母と娘の記録。
娘の岩佐まりさんは、【ケーブルテレビ局のリポーター】や【イベントの司会】で生計を立てるフリーアナウンサー。取材開始当時、家賃7万円・1Kの部屋に母と暮らしていた彼女は、30歳・彼氏無し。仕事はもちろん、遊び・恋愛、そして結婚も本格的に考えたい年頃にもかかわらず、最愛の母を襲った病によって、手探りの在宅介護の日々に追われていた。
いまだ根本的な治療薬は無く、ただただ進行する姿を見守るしかない認知症介護の日々…。母の不穏による暴言・暴力、そして徘徊。日を追ってできることが少なくなってゆく母の姿を見つめながら、なるべく笑顔で過ごすことで、乗り越えようとする娘―。
そんな彼女が5年前、取材中に母の前で約束した夢が、「お母さんとバージンロードを歩きたい」。
そんな中、2020年。仕事で再会し、意気投合した高校時代の同級生と、“交際0日婚”することに。だが一方でお母さんは、ほぼ会話することも、自力で歩くこともできなくなっていた。さらに夢を阻むかのように追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルスによる自粛ムード…。それでも、“ある特別な結婚式”に踏み切った彼女の、母への思いとは?そしてウェディングドレス姿を目にした、お母さんの反応は?
取材開始当時、巷では「認知症800万人時代」とのセンセーショナルな見出しがメディアで躍っていた。高齢者が増え続ける現実に対し、社会保障費を抑制せざるを得ない政府。その間に生まれた“シワ(歪み)”は、患者や家族にどんな日々を強いているのだろうか?
「認知症介護」という単語だけで決して括ってはいけない、100人100様の介護生活、そのほんの一端ではあるが、長期にわたり、病気の進行・家庭環境の変化、そして介護者の心の機微に迫った、6年間の記録―
テレビでは2014年から6年に渡り密着し続け、3回放送。反響を呼び、取材対象者の人生が書籍化もされた。この機会に放送尺に収まりきらなかった収録素材を交え、改めて紹介する。
娘の岩佐まりさんは、【ケーブルテレビ局のリポーター】や【イベントの司会】で生計を立てるフリーアナウンサー。取材開始当時、家賃7万円・1Kの部屋に母と暮らしていた彼女は、30歳・彼氏無し。仕事はもちろん、遊び・恋愛、そして結婚も本格的に考えたい年頃にもかかわらず、最愛の母を襲った病によって、手探りの在宅介護の日々に追われていた。
いまだ根本的な治療薬は無く、ただただ進行する姿を見守るしかない認知症介護の日々…。母の不穏による暴言・暴力、そして徘徊。日を追ってできることが少なくなってゆく母の姿を見つめながら、なるべく笑顔で過ごすことで、乗り越えようとする娘―。
そんな彼女が5年前、取材中に母の前で約束した夢が、「お母さんとバージンロードを歩きたい」。
そんな中、2020年。仕事で再会し、意気投合した高校時代の同級生と、“交際0日婚”することに。だが一方でお母さんは、ほぼ会話することも、自力で歩くこともできなくなっていた。さらに夢を阻むかのように追い打ちをかけたのが、新型コロナウイルスによる自粛ムード…。それでも、“ある特別な結婚式”に踏み切った彼女の、母への思いとは?そしてウェディングドレス姿を目にした、お母さんの反応は?
取材開始当時、巷では「認知症800万人時代」とのセンセーショナルな見出しがメディアで躍っていた。高齢者が増え続ける現実に対し、社会保障費を抑制せざるを得ない政府。その間に生まれた“シワ(歪み)”は、患者や家族にどんな日々を強いているのだろうか?
「認知症介護」という単語だけで決して括ってはいけない、100人100様の介護生活、そのほんの一端ではあるが、長期にわたり、病気の進行・家庭環境の変化、そして介護者の心の機微に迫った、6年間の記録―
テレビでは2014年から6年に渡り密着し続け、3回放送。反響を呼び、取材対象者の人生が書籍化もされた。この機会に放送尺に収まりきらなかった収録素材を交え、改めて紹介する。
監督からのメッセージ
監督プロフィール
この取材は、彼女が綴っていた介護ブログ「若年性アルツハイマーの母と生きる」を見た監督(担当ディレクター)のオファーにより、2014年・夏から密着が始まりました。
取材開始当時、カラオケで村田英雄の曲を歌うのが好きだというお母さんは、歌詞を見ずに気持ちよく歌っていました。よくしゃべり、よく食べ、よく笑い、そしてよく怒る。それが当時の母・桂子さんへの、私(監督)の印象でした。通じているか定かではありませんでしたが、取材時、私ともよく会話を交わしていましたが、一方ですでに徘徊は始まっていました。
“独身アラサー女性のフリーアナウンサー”。世間的には、決して“安定した生活”とは言えない彼女が歩んできた道には、多くの方にとって、現代を生きるヒントが数多く詰まっていると感じます。高齢化が進むこれからの時代、決して他人事ではない介護の日々―
人は突然の理不尽に直面した時、真の人間力が試されるのだと、この取材の日々から学ばせていただいた、そんな気もしております。
密着取材を開始して6年。笑顔を忘れない介護と共に、メディアに取材されることをも成長の糧にしてきた彼女のしなやかな強さも、併せて感じていただけたら幸いです。これからも追い続けてゆくその1過程を、今回はご紹介させていただきます。
取材開始当時、カラオケで村田英雄の曲を歌うのが好きだというお母さんは、歌詞を見ずに気持ちよく歌っていました。よくしゃべり、よく食べ、よく笑い、そしてよく怒る。それが当時の母・桂子さんへの、私(監督)の印象でした。通じているか定かではありませんでしたが、取材時、私ともよく会話を交わしていましたが、一方ですでに徘徊は始まっていました。
“独身アラサー女性のフリーアナウンサー”。世間的には、決して“安定した生活”とは言えない彼女が歩んできた道には、多くの方にとって、現代を生きるヒントが数多く詰まっていると感じます。高齢化が進むこれからの時代、決して他人事ではない介護の日々―
人は突然の理不尽に直面した時、真の人間力が試されるのだと、この取材の日々から学ばせていただいた、そんな気もしております。
密着取材を開始して6年。笑顔を忘れない介護と共に、メディアに取材されることをも成長の糧にしてきた彼女のしなやかな強さも、併せて感じていただけたら幸いです。これからも追い続けてゆくその1過程を、今回はご紹介させていただきます。
堀江將一郎(ほりえ・しょういちろう)
1975年生まれ、東京都出身。2010年9月末日、TBSビジョンを退職し、翌10月に株式会社てびも設立。『サンデージャポン』には2001年の立ち上げ時より参加。以降、断続的にディレクターとしてサポート。現在は主に報道VTR・取材担当、ドキュメンタリー企画担当。「有吉ジャポン」「世界遺産」「夢の扉+」「ビビット」「サタデーずばッと」「プロ野球好珍プレー」「桜井・有吉のアブナイ夜会」その他、企業映像制作などを手掛ける。
制作年、制作スタッフ
監督からのメッセージ
2021年/ステレオ/65分 ?TBSテレビ
この取材は、彼女が綴っていた介護ブログ「若年性アルツハイマーの母と生きる」を見た監督(担当ディレクター)のオファーにより、2014年・夏から密着が始まりました。
取材開始当時、カラオケで村田英雄の曲を歌うのが好きだというお母さんは、歌詞を見ずに気持ちよく歌っていました。よくしゃべり、よく食べ、よく笑い、そしてよく怒る。それが当時の母・桂子さんへの、私(監督)の印象でした。通じているか定かではありませんでしたが、取材時、私ともよく会話を交わしていましたが、一方ですでに徘徊は始まっていました。
“独身アラサー女性のフリーアナウンサー”。世間的には、決して“安定した生活”とは言えない彼女が歩んできた道には、多くの方にとって、現代を生きるヒントが数多く詰まっていると感じます。高齢化が進むこれからの時代、決して他人事ではない介護の日々―
人は突然の理不尽に直面した時、真の人間力が試されるのだと、この取材の日々から学ばせていただいた、そんな気もしております。
密着取材を開始して6年。笑顔を忘れない介護と共に、メディアに取材されることをも成長の糧にしてきた彼女のしなやかな強さも、併せて感じていただけたら幸いです。これからも追い続けてゆくその1過程を、今回はご紹介させていただきます。
取材開始当時、カラオケで村田英雄の曲を歌うのが好きだというお母さんは、歌詞を見ずに気持ちよく歌っていました。よくしゃべり、よく食べ、よく笑い、そしてよく怒る。それが当時の母・桂子さんへの、私(監督)の印象でした。通じているか定かではありませんでしたが、取材時、私ともよく会話を交わしていましたが、一方ですでに徘徊は始まっていました。
“独身アラサー女性のフリーアナウンサー”。世間的には、決して“安定した生活”とは言えない彼女が歩んできた道には、多くの方にとって、現代を生きるヒントが数多く詰まっていると感じます。高齢化が進むこれからの時代、決して他人事ではない介護の日々―
人は突然の理不尽に直面した時、真の人間力が試されるのだと、この取材の日々から学ばせていただいた、そんな気もしております。
密着取材を開始して6年。笑顔を忘れない介護と共に、メディアに取材されることをも成長の糧にしてきた彼女のしなやかな強さも、併せて感じていただけたら幸いです。これからも追い続けてゆくその1過程を、今回はご紹介させていただきます。
- 監督
- 堀江將一郎
- プロデューサー
- 久我雄三
- 総合構成
- 細矢将司
- 企画
- 大久保竜
制作年、制作スタッフ
2021年/ステレオ/65分 ?TBSテレビ
- 監督
- 堀江將一郎
- プロデューサー
- 久我雄三
- 総合構成
- 細矢将司
- 企画
- 大久保竜
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