『うらやましい』才能 障害福祉サービス事業所「PICFA(ピクファ)」【SDGs「障がい」と「障害」】
佐賀県の基山町にすごく心地良い施設がありました。新しい場所、人、環境に出会うと、自分の中の新たな感覚が目覚め、脳内に何かが分泌されるのか、僕はとても心地良い気分に浸ることができます。長時間同じ姿勢でいた時、背伸びをすると気持ち良いのと同じで、脳をぐいーっと広げられている感じです。まさにそういう感覚になったのが「PICFA(ピクファ)」を訪れた時でした。
病院の中にある障害者施設
PICFAは知的障害・精神障害・自閉症・ダウン症の方々が絵を描き、作家活動を行う場所です。しかもそこは、病院の中にあります。医療法人清明会が、医療と福祉の両方に力を入れるために、病院の中に障害者施設を設けたのです。他にも内科や、高齢者が体力維持増進のために利用する介護保険の事業、病院の職員が利用できる託児所が併設されていて、様々な人とコミュニケーションできるその環境も大きな特長のひとつです。
「PICFA」には現在21人の作家さんがいます。とても細かな絵を描く才能がある人。ひたすらペンキを塗りたくるだけで作品を作る才能がある人。その作品の評価は高く、ビルの壁画になったり、福岡市内のホテルではスイートルームを含む全客室に飾られたりしているほどです。PICFAの廊下には多くの作品が展示され、販売もしているのですが、それらを目にしたときの僕の感情は、単純に「うらやましい」でした。「こんな絵を描ける人になりたい」と素直に思いました。そう言うと「あなたは障害者になりたいの?」と聞かれるかもしれません。しかし、そうではなく「人」としての皆さんの才能をうらやましいと思ったのです。絵を描いている皆さんの表情はとてもイキイキとしていて、それを見た時もうらやましいと感じました。(綺麗ごとが言いたいわけではありません。そのとき素直に感じた僕個人の感想です。)実際に施設利用者のお母様も「PICFAに来て娘が積極的になり、表情が次第に明るくなっていくのを見て、うらやましいと思った」と話をされていました。
地域のお荷物ではなく資産に
PICFAの仕掛け人であり施設長でもある原田啓之さん(47)は、ご自身のお兄さんが知的障害者ということもあって福祉の道に進まれたそうです。(詳細は次回のコラムで!)お兄さんが働きに行き、1カ月の収入が3,000円ほどだったのに「はい、お年玉」と2,000円くれた時に、「障害者の方が真っ当な収入を得られる仕組みづくりが必要だ」と施設をつくる決意をしたそうです。
PICFAでは、絵が売れるとそれを描いた作家さんに収入が入る仕組みになっていて、収入面では他の施設を上回る賃金が21人それぞれに支払われています。そのために、原田さんは日々企業や行政との打ち合わせを繰り返し、多くの仕事を取ってくるのです。そうした地道な活動の結果、施設オープンから4年経った今では、絵画の販売以外にも企業ロゴの作成、コラボ商品のパッケージデザインなど多岐に渡る仕事の依頼がくるようになりました。なかには、ローソンの「マチカフェ」で全国展開されるコーヒーカップのデザインや、基山町の小学生が図書室の本を持ち帰る際に使うバッグのイラストなどもあります。
障がい者か、障害者か。
最近は、一般的に「障害者」を「障がい者」と表記することが増えました。ですが、PICFAでは「障害者」としています。それはなぜか、原田さんが教えてくれました。
しょうがい者の『害』は当人にあるわけではなく人と人の間や社会の仕組みにあるから
何と的を射た言葉でしょうか。21人の作家さんのことを真摯に思いながら接し、社会の問題点を解決しようと取り組んできた原田さんだからこそたどり着いた考えだと思います。「障害者と書くとその人が可哀そう」というのが一般的な認識かもしれません。しかし原田さんの言葉を聞いた後だと、「障害者=可哀そう」と考える人の浅はかさこそが、可哀そうな気がします。この言葉はもっと世に広めていくべきだと感じました。
すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、僕はこのコラムで敢えて「障害者」という表記を使っています。ここまで読んでくださった方の中には、違和感を持った方もいらっしゃるのではないでしょうか。それこそが「害」なのだと考えます。僕がPICFAで作家さんたちの絵を見て最初に感じた「うらやましい」という感情は、「害」のないピュアな心から生まれたものかもしれない。そう思うと何だか自分の価値観が広がった気がして、少しうれしかったのです。
次回に続く
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