PageTopButton

塩尻市は短歌の里

塩尻市の広丘は、短歌の里と言われています。
なぜなら広丘は、明治時代に生まれ、「潮音」「アララギ」など近代短歌の大きな流れを作った太田水穂・島木赤彦・若山牧水ら歌人たちが深い関わり合いを持ちながら創作活動をした地だから。
その活動を感じ取ることができるのが「塩尻短歌館」です。
水穂・赤彦・牧水だけでなく伊藤左千夫・長塚節・窪田空穂・若山喜志子など9人の歌人を紹介していて、塩尻短歌館指導員の藤森円さんは「牧水記念館とか赤彦記念館とか一人だけの記念館は全国にいっぱいあるけど、関わった歌人を複数人数紹介しているのは珍しいと思います。
点だけでなく『線と面の文学館』と私は言ってるんですけど、面となって紹介している施設です」と、おっしゃいます。

字は人を表す?好みの文字から歌人を探ろう
塩尻短歌館には紹介している9人の歌人たちの直筆掛け軸や色紙がたくさんあります。
これがおもしろい!それぞれの文字に特徴があって、なんだかキャラクターが伝わってきます。
「歌の意味はもちろんですが、一つ一つの文字に歌人が息づいていて生きていた証だと感じますね」と、藤森さん。
個人的には若山牧水の字が楽しくてかわいくて好き。
牧水の妻・喜志子の妹である潮みどりの残したイラストも激カワでした。
水穂は流れるような字で、赤彦はヘタウマな感じ。
勝手に評価するのもおもしろいですよ~(歌人のみなさま、失礼をお許しください)。

愛を語る松林?秘めた恋、広丘に咲く?
実は、広丘での歌人たちのつながりが若山牧水と喜志子の結婚をもたらしたのだそう。
二人は東京に居を移した太田水穂の家で出会ったのです。
明治45年、広丘に戻った喜志子に牧水は手紙を書きます。
「そちらに行くので村井駅まで迎えに来てください」と。
そこからひと駅、松林を二人で歩くなか牧水は喜志子にプロポーズしたんだそうです。
その道は「牧水・喜志子ロマンの道」とネーミングされております。
また館にかかげてある人物相関図の中原静子の横に『秘めた恋、広丘に咲く』という一文が!これは気になる!藤森さんに解説いただきました。
静子の恋の相手は島木赤彦。
広丘小学校の校長として単身赴任してきた二年間、赤彦は下宿に若者や先生達を招いて短歌や古典の勉強会を開いておりました。
赤彦の着任と同時に新任で広丘小の教諭になった静子も会に参加しており、赤彦の指導でその才能を開いていきました。
結果、秘めた恋が咲くことになったのだそう。

塩尻短歌館自体がすごいんです。
短歌館の建物は、明治元年に完成した本棟造りのお屋敷です。
本棟造りは、中信地域の豪邸の作り方。切妻屋根で妻入り、ほぼ正方形の家で、正面からみて屋根のところについている「雀踊り」が象徴的です。
立派な梁や中庭、展示室になっている蔵など見ごたえたっぷりです。

めざせ歌人?フォーラムを経て歌会始まで?
塩尻市では毎年「全国短歌フォーラムin塩尻」という大会を開催していて、全国から短歌作品を募っています(6月締切)。
その優秀作品も短歌館でお披露目されています。
中島のお気に入りは小学生の優秀作品『なつやすみ おくらをとった おいしいな へんなのあった それはとらない』。
一気に短歌が楽しくなってきました。見習って歌詠んで、いつかは皇居で歌会始?
【 放送を聞く 】

□ 全国短歌フォーラムin塩尻 → https://tanka.shiojiri.com/ □ 塩尻市観光協会 → https://tokimeguri.jp/ □ 長野県公式観光サイト → https://www.go-nagano.net/ □ 信州まつもと空港地元利用 → https://www.matsumoto-trip.com/airport-arrival/

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう

radiko 防災ムービー「いつでも、どこでも、安心を手のひらに。」