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永六輔の歌詞の行間に「諦観と矜持」音楽プロデューサー・松尾潔が解説

「人として生きていくことのプライドと、人として生まれてしまったという諦め、悲しみ」が歌詞の行間にある――――BTS登場の前、アジア人アーティストとして初の全米ナンバーワンに輝いた「上を向いて歩こう」(英題・SUKIYAKI)を作詞した故・永六輔さんについて、永さんの誕生日である4月10日の翌日にRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した音楽プロデューサー・松尾潔さんが熱く語った。  

音楽プロデューサーとして迷ったときに見上げる存在

松尾潔さん(以下、松尾):昨日4月10日は、作詞家としてだけでなく、放送人としても著名な永六輔さんの誕生日でした。ご存命なら89歳になっていましたね。永さんが作詞し、中村八大さんが作曲、坂本九さんが歌った歌といえば「上を向いて歩こう」ですが、1963年にアメリカの音楽専門誌・Billboardのチャートでナンバーワンになりました。この記録は日本人アーティストで唯一で、20世紀まではアジアのアーティストにとっても唯一のナンバーワンヒットでした。21世紀に入り、ナンバーワンになった2組目のアジア人アーティストといえば、グラミー賞にもノミネートされたBTSですね。

 

田畑竜介アナウンサー(以下、田畑):松尾さんは永さんとは面識あったんですか?

 

松尾:小学3年生か4年生ぐらいのとき、僕は福岡から一時期、親の仕事の関係で佐賀に移っていたんですが、その佐賀市で、永六輔さんの講演会があり、母に連れて行かれていったことがあるんです。それで、講演が終わった後、僕は永さんに頭をなでてもらいました。

 

松尾:それから40数年経って、2008年の第50回レコード大賞で僕がEXILEの「Ti Amo」で受賞した翌年、第1回目の受賞者である永六輔さんと、記念対談をしたんです。そのとき永さんから「初めまして」って言われたんですが、僕は「きた!」と思って「実は初めましてじゃないんです」というお話をしましてね(笑)。それから付き合いが始まって、永さんが長らく手がけてこられたコーラスグループのデューク・エイセスの曲を、僕がプロデュースさせてもらう機会がありました。このときに永さんにも語りで参加していただきました。

 

松尾:今でも永さんのご家族の方とちょっとお付き合いさせていただいています。小学生のときの佐賀での偶然の出会いから今に至るまで、僕が音楽の仕事をする上で、迷ったときの灯台の灯火というか、いまだに見上げている存在が、永六輔さんですね。

「耳あたりがいいのにざらっとした何かを残す」

田畑:作詞家という目線で、永さんが紡いだ言葉の凄さってどういうところだと松尾さんは感じますか?

 

松尾:例えば「上向いて歩こう」も、曲調が割と軽快だから、万人に愛される言葉が並んでいるような錯覚を与えるんです。しかし、永さんの言葉って、耳当たりがいいのに、ちょっとざらっとした何かを残すんですよいつも。それは、人間が、ただ生まれて生きているだけでは幸せにたどり着けないという、諦観と矜持みたいなものが常にあって、人として生きていくことのプライドと、人として生まれてしまったっていう諦めとか悲しみみたいなものが、絶えず光と影のように行間にあるからなんだと思います。そういうところが、永さんの非凡なところです。

 

田畑:そのあたりを注視しながら、新ためてじっくり「上を向いて歩こう」を聴いてみたいですね。

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