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「何度電話しても出ない」山を愛した兄は6年前に亡くなった 弟は豪雨でも崩れない山をつくる 九州北部豪雨

福岡県と大分県で40人が死亡し2人が行方不明のままとなっている九州北部豪雨から5日で6年がたちました。長年林業に携わってきた兄を亡くした男性が、兄の思いを継ぎ「災害に強い山づくり」に取り組んでいます。


◆忘れられない記憶 犠牲者に黙祷が捧げられた
多くの犠牲者が出た福岡県朝倉市の市庁舎では、5日午前、市長や職員などが九州北部豪雨の犠牲者に黙とうをささげました。6年前の九州北部豪雨では、福岡県と大分県であわせて40人が亡くなりました。朝倉市では33人が犠牲となり今も2人の行方がわかっていません。林裕二市長は、「さらなる復興と発展のために惜しみない努力をささげることが、私どもに与えられた使命であり責務。このことを深く胸に刻み、力強く前進していきたい」と話しました。


◆「あの日は空が真っ黒だった」 兄に連絡をしたけどつながらない
福岡県久留米市で製材所を営む吉弘辰一さん(71) 6年前のあの日、製材所でも異変を感じたといいます。

吉弘辰一さん
「朝倉市のほうの空を見たら真っ黒でしたから、これは何かあっている、何かすごいことがあっていると思って兄にすぐ連絡を入れました」
2017年7月。当時朝倉市には、兄の小川稜人さん(当時76)と小川さんの妻・千鶴子さん(当時74)が暮らしていました。


◆電話に出ないのは「雨のあと家の片付けをしているんだろう、その程度に思っていた」

吉弘辰一さん
「呼び出し音はする、呼び出すけど出ない。何度呼び出しても出ない。何でかなと思って姉の方に連絡を入れた。そしたら呼び出し音はするけど姉も出ない。だからよっぽどすごい雨が降って家の片付けかなんかやってるんだろうなと、その程度にしか考えなかった」

しかし、その後も連絡はつかず、数日後、兄夫婦は遺体で見つかりました。

吉弘辰一さん
「地元の知人に聞いたら、兄と姉は『みんなを早く避難させろ』と一生懸命言っていたそうです。皆ほぼほぼ助かっていたけど、兄たちは流されていた。胸が詰まる思いがしました」


◆豪雨でも崩れない山、流木が出ない山をめざそう
吉弘辰一さんの兄・小川稜人さんは生前、林業に携わっていました。九州北部豪雨では、山から押し寄せた大量の流木が、被害を拡大させたという指摘があります。後継者不足や高齢化で古木の伐採など手入れができないまま放置された山の存在が社会問題となる中、小川稜人さんは、木と木の間隔が十分にとられている「きれいな山」にこだわっていました。地元の森林組合の理事長を務めるなど先頭に立って熱心に山の管理に取り組んでいたといいます。弟の吉弘辰一さんは、手入れが行き届いたきれいな山が増えれば被害は軽減できると感じています。実際朝倉市には、あの豪雨を受けても崩れず残っている山が多くあります。

吉弘辰一さん
「重要なのは残っている山が大部分、それがどんな山かというとちゃんと手入れされた山なんです。手入れがきれいに行き届いていたから水も相当量吸収してそれでも吸収できなかったものが土砂災害になった。兄は災害を防ぐ目的で手入れをしていたわけではないと思うけど、兄なりの哲学で林業をやっていた。壊れたところは壊れたが、壊れなかったところが大事だと思う」

林業に哲学と誇りを持っていたが小川稜人さんが生前取り組んできた「山の管理」 今、防災という点でも注目されています。

RKB 永牟田龍太記者
「吉弘辰一さんの製材所から見える耳納連山。吉弘さんはあの場所で兄の思いを継ぎ、災害に強い山づくりを目指しています」


◆災害を防ぐ山づくり 弟は兄の哲学受け継ぎ山に入った
災害後、弟の吉弘辰一さんは、山に入るようになりました。兄が取り組んでいた、木を切り倒して適切な間隔をあける間伐を行っています。災害を防ぐために重要な作業です。久留米市の南部に連なる耳納連山で、およそ8平方キロメートルを管理する、「久留米市田主丸財産区議会」の議長を務める傍ら、国の機関とも協力し「新たな山づくり」について研究もしています。これまでは切った木を現場に残す「切り捨て間伐」が主流でしたが、流木の可能性を少しでも減らすため搬出するようにしました。

吉弘辰一さん
「限りなく小さい災害にとどめるためには私たちが管理している山を健康な状態に持っていく必要がある。そのためにどうしたらいいのか何年も議論している。兄はきれいな山づくりに一生懸命だった。きれいな山づくりをしていけば災害はゼロにはならないが被害は軽減できると思っている」二度と同じような被害を繰り返さないために。吉弘さんは、これからも兄の思いを胸に、山と向き合い続けます。

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