夏休みにふるさとへ帰り、変わらない景色にほっとしたり、変化を見つけて寂しさを覚えたり、という方も多かったのではないだろうか。
先日、よく利用していたスーパーが閉店した。長男と次男、合わせて約10年通った保育園の近くにあったので、お弁当に入れるものを一緒に選んだり、買い物の仕方やマナーを教えたり、子どもとの思い出はもちろん多い。駐車場では、車ではなく大きなカタツムリがとまっているのを見つけて連れ帰ったことがある。スーパーで買った小松菜をカタツムリにやると、子どもが昼寝をして静かな家の中にパリパリと食べる音が聴こえ、感動した。アナウンサーコンクールで受賞したことを知らせる電話をもらい、電話先の上司を困らせるほど大号泣したのも、ここの駐車場だった。
よく利用していたのだが、子どもが卒園し、訪れる回数は減った。それでも、スーパー前を通りかかったり、時折買い物をしたりすると、懐かしく甘酸っぱいような気持ちになっていた。初めての子育てでいっぱいいっぱいだった私の毎日の暮らしを支えてくれた場所だから。そんな心のよりどころのような場所だっただけに、変わってしまうことがとても寂しく感じられた。先に変化したのは自分なのに、思い出の場所には変わってほしくない。そう思うのは、私だけだろうか。
9月2日(土)毎日新聞掲載
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