ネットの冷笑は社会の映し鏡…「私にできること」は何かを考えよう
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「ネットの冷笑は社会の映し鏡」だ―――。RKB毎日放送の神戸金史解説委員長は11月14日、出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』でジャニーズ性加害者当事者の会のメンバーや、イスラエルのガザ侵攻の反対デモに参加する人たちをネットで冷笑したり攻撃したりする人たちについて取り上げながら、「私たちができることは何か」を考えた。
とうとう犠牲者を出したネット攻撃
毎日新聞に「元ジャニーズ男性死亡 中傷許さぬネット社会に」という社説が出ていました。
「ジャニーズ性加害問題当事者の会」メンバーの40代男性が山中で死亡しているのが10月中旬に見つかった。警察は自殺と見ている。(中略)「売名行為」「金がほしいだけだろ」などとSNS(ネット交流サービス)で中傷され、悩んでいたという。
とうとうこんなことまで……とみなさん思ったでしょうね。自分の好きな推しを守りたいという気持ちを持った人も多かったのかもしれませんし、単純に「いじってみたい」という人もいたのかもしれませんが、社説では「違法行為をした人物には相応の責任を取らせなければならない」と。本当にそう思います。
「ひいきの引き倒し」という言葉がありますが、「ひいきし過ぎて、かえってその人を不利にすること」という意味ですよね。旧ジャニーズ事務所のためにも、タレントさんのためにもならないだろうな、と思います。
ネットにあふれる「冷笑」
一方で、誹謗中傷だけではなくて、「冷笑」系もネット上にはあって、「あざ笑う」とか「いじって笑いを取る」とかもあるかと思うのです。ひろゆきさんはとても人気のある方で、頭もよくてキレがいい。
でも時に「冷笑」系の発言もあって、沖縄の基地反対行動に関して、座り込みをやっていないじゃないかと書いたことがあって、本土の生まれである私も、「個人的に」と言いつつ、沖縄の人たちに対して抑圧する側になっていたことは歴史的も否定できないので、一つ一つ例を挙げて「ごめんなさい」と言ってみたんです。ネット上ではプチ炎上しましたが「それでもいいや」と。
ひろゆき氏ツイートに思う「#沖縄の皆さんに本土からごめんなさい」
<沖縄の基地反対行動に関するひろゆき氏のツイートが議論となっている。RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』のコメンテーターを務めるRKB報道局の神戸金史解説委員は「同じ“本土生まれ”として、申し訳ない気になった」という。11日放送の番組で運動論と、歴史の面から思うところを語り、「ごめんなさい」と繰り返した>
一生懸命な人を、シラっと冷笑する、嘲笑するというのもネットの悪い特徴のひとつだと思うんですね。この時、「勝手に本土を代表して謝るな」といっぱい書かれたんですが「だから個人的に、って言ってるじゃない。代表してませんから」と思いました。本土の一人の人間として、こんなことを思っています、と言ってみたかったのですね。
その時に考えていたのは、「心を寄せる」ということでした。例えば弱い人、苦しんでいる人がいた時、「それはお前の自己責任だろう?」というより、僕は立場が違うけれども「想像すると大変だな」と、心を寄せること。これもネット上の重要な機能なんじゃないかな、とも思っているんですね。
誹謗中傷も冷笑も、書いている人の心が映っている
毎日新聞東京学芸部の吉井理記記者が11月15日に、こんなコラムを書いていました。
今日も惑いて日が暮れる「イヤなクールジャパン」
https://mainichi.jp/articles/20231115/dde/012/070/008000c
冒頭で、日本ペンクラブ会長の作家、桐野夏生さんが「今の日本ではみんなで政治的な声明を出したり、まとまって運動したりすることを冷笑するというか、ダサいと思う風潮が強まっているように思えてなりません」と言っていた、と書いていました。
ロシアのウクライナ侵攻で日本ペンクラブもロシアを非難する声明を出していますが、疑問視する人は作家の中にもいるそうです。なかなかまとまるのは難しいのですが、それでも声を出さないよりは出した方がいい。こういう行動も、「心を寄せる」ということなのではないでしょうか。
例えば、街中でデモをしていたり、スタンディングして何かをアピールしていたりする。普通は通り過ぎてしまうのですが、時に僕の考えと似ている人がいるなと思った時「頑張ってくださいね」と一声かけたりするんですよね。「時間もあるし、ここで一緒にやることはできないな」と思いながらも、通り過ぎることがちょっと心苦しい時に、そんな一言をかける時があります。
誰もができるわけではないし、発言できるわけでもないけれど、でもそこでやっている人をあざ笑ったり、冷笑したりするのではなくて、「どうしてそうなのだろう?」とちょっと心を寄せてみる。そんなことが今の日本社会に必要だと考えます。
誹謗中傷も冷笑も、書いている人の心が映っているような気がします。「金がほしいだけだろ」。きつい言葉を使って人を批判するあなたの中に、「お金もうけのためなら何でもする」という気持ちがあるのでは、という気がいつもします。
発言する前に、「なぜそうなのだろう?」とちょっと心を寄せてみる。もしちょっとでも重なったところがあったら、「頑張ってね」という気持ちを持つ。これは、意味のないことではないと思います。
妙に「クールジャパン」
毎日新聞・吉井理記記者のコラムには、日本で政治的な発言やデモをする人が少ないのはなぜだろうと書いています。
政治的意見の表明は「自分のすることではない」という人が少なくないのか。あるいは「そんな発言をしても意味はない」といった冷笑ゆえか。
意見を形で示すデモも、日本と欧米とでは比較にならない。10月28日にロンドンであったイスラエルのガザ攻撃に抗議するデモには7万人(警察発表)が集まった。米国やアジアでも数万~十数万人規模のデモが続く。
一方、東京で11月5日にあった同趣旨のデモの参加者は1600人(主催者発表)。日本のX(ツイッター)では「デモに意味はない」とのコメントがあふれていた。
「意味がない」と思う人も多いかもしれませんが、「では他の国ではどうしてこんなにデモが起きているの?」と考えると、日本だけが妙に「クールジャパン」な感じがします。
ジェノサイドの「定義」
ガザ地区で起きているのは大変なことです。「ジェノサイド」という言葉は、「集団殺害」や「集団殺戮」と訳されることもあります。
国連総会で採択された「ジェノサイド罪の防止と処罰に関する条約」(1948年、通称「ジェノサイド条約」)の定義では、「国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる次のいずれかの行為」としていて、5種類の行為を挙げています。
・集団の構成員を殺すこと
・集団の構成員に重大な肉体的または精神的な危害を加えること
・全部または一部の身体的破壊をもたらすよう企てられた生活条件を故意に集団に課すこと
・集団内の出生を妨げることを意図する措置を課すこと
・集団のこどもを他の集団に強制的に移すこと
これを知ったのは、11月18日、19日に西南学院大学(福岡市)であった国際人権法学会。国際人権法の観点からは、今ガザ地区で起きているのはとても看過しがたいこと。ところが学会は、事前に長い準備をしているから、新しくなにかのコマを作ることができない。
そこで、学者有志が集まって「緊急ラウンドテーブル イスラエル・ハマス紛争にどう向き合うか」を開きました。朝8時半から学会が始まる9時15分まで、有志で論点整理を行おうという会合です。
ジレンマを抱える研究者
いろいろな議論がありました。ガザで起きていることに対し、「国際人権法にかかわる人間が何かをしなければならないのではないか」という気持ちと、「イスラエルとハマス、どちらに有利になってしまうのか」を考えると、「どっちもどっち」という話になってしまうのではないか。
今のガザ地区の状況、その一点だけを止めるためだけに集中すべきじゃないか。または「歴史的な背景も考えるべきじゃないか」。いろんな議論があるのだな、と学者さんたちの議論を聞いていて思いました。
青山学院大学法学部長の申惠丰(シン・ヘボン)教授:ウクライナ侵攻でも議論になったんですけれども、どうしても学会として文章をまとめようとすると、皆さん研究者ですから文言についての議論が長引いてしまって、スピーディーな対応がしにくい部分があるんですね。そうこう言ってる中にどんどん事態が展開していくという問題があって、それがとてもジレンマだと感じてきました。
なので、1つの方法は、学会としてどうしても合意が取れなければ、「有志一同」という形での何らかの声明を発表することはありうると思います。
あともう1つは、学会ですので、これからの研究活動の中で、今起きていること、歴史的背景も含めて、今後の大会、あるいはオンラインフォーラムという形で取り上げることも含めて、分析をともにしていく、深めていくという方向もあり得ると思っています。
ですから私が考えているのはとりあえず2つで、1つはまず緊急の立場表明なし声明の発表。学会として出来なければ有志で。もう1つは研究活動の中で取り組んでいくということです。
ガザ地区で「今起きていること」
いろいろな議論がありますが、大前提として「今起こっている状況」が提示されました。
● 住民の65%が国内避難民
● 少なくとも地区の45%の住居が破壊または損壊
● 敵対行為前に比べて水の消費量が92%減少
● 基本的な食料品の現在の市場在庫は1~23日分、通常のパンの半分の量を受け取るのに必要な時間は平均4~6時間
● 62万5000人の生徒が教育を受けられず、51%以上の教育機関が被災
このような状況が共有されました。声明を出すことも含めて、「意味はない」と考えるかどうか。「心を寄せる」ために、世界中でデモが起きている。国際人権法に携わっている研究者は、戦争犯罪との国際司法裁判所の認定があってしか議論ができないのか。そうした切実な議論が、「緊急ラウンドテーブル」でされました。
西南学院大学法学部の根岸陽太准教授:今回は、何かを決めようという会議というよりは、皆様の意識形成、学会として少なくともこれを話し合う機会を持ち、個々に持ち帰っていただく、有志で集まっていただく、さらに学会として何か動いていくことができるか、ということに向けての話し合いでしたので、何か結論を申し上げるわけではありません。
実体的な本質的なところとしては、例えば「10月7日(ハマスによるイスラエル急襲)以前を扱うのか」、それとも「以後だけを見てみる」のか。
個別の論点に関しても、(国際司法裁判所の)裁判を待つべきなのか。またはそもそも事実調査もまだ関し確定的な意見がないのだから、「違反している可能性がある」「ジェノサイドが起こる可能性がある」と伝えていくべきなのか。
また、学会として一致するべきなのか、特定できる部分に集中していくのか。それとも総合的に難しいのであれば、例えば有志で深掘りしていくとか、論点整理だけでも専門的な貢献になりうる。学会として来年以降の企画でも扱っていくことができる、ということも十分に話されました。
これだけでも、皆さんがこんなに、朝早くから集まっていただいたことの成果だと思います。ひとまずこの選択肢を有志で取り集め、それを文字化して皆様にお届けしますので、見ていただいた中で各自、各グループ、そして学会のアクションにつなげていただければと思います。
できることはささやかかもしれませんが、今起きている状況、そこで暮らしている子供たちに心を寄せていこう。考えること、思うこと、声明を出すこと、デモをすること。いろいろなやり方があると思うし、自分がやれないにしても、やっている人たちに「自分の代わりにもしてもらっているのかな」とちょっとした応援をしてみる。街中で見かけたら手を振ってみるでもいい。
「戦争を止めることができるか」と冷笑されますが、それはできないです。でも子供たちの命が失われているのを見て、冷笑できるのでしょうか。動いている人たちを笑うことに、あなたの心がそのまま映っている。そうではなくて、やっている人に「ありがとう」と、少しでも心を寄せていきたい。そんなことを考えた、研究者の話し合いでした。たった45分でしたが、非常に熱がこもっていました。
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この記事を書いたひと
神戸金史
報道局解説委員長
1967年、群馬県生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。現在、報道局で解説委員長。