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激レア映像!福岡2万3000日物語 年始編

1958年に「九州初の民放局」としてテレビ放送を始めたRKBに眠る65年=2万3000日分の映像記録を一挙公開。カンニング竹山、髙木悠未(LinQ)、田畑竜介アナウンサーのコメントとともに、年始めの催事や風物詩の歴史を「驚き映像」で紹介します。

初日の出参りに山頂が大混雑!

1960年の大晦日。大勢の人がケーブルカーに乗っています。向かった先は、北九州市になる前の八幡市(現・八幡東区)の皿倉山山頂。なんと、初日の出を拝むために1万人が山頂に押しかけていたのです。

それから3年後の1963年には、開通したばかりの若戸大橋で初日の出を拝む人の姿もありました。1963年といえば、北九州市が誕生した年。そこには、希望の笑顔に溢れる人々が映っていました。

超エネルギッシュな初詣!?

1973年、福津市にある宮地嶽神社の初詣の様子は、まさに驚き。なんと、重さ3トンある日本一大きいしめ縄のワラをむしりとる人々がたくさん映されていました。
※現在はこのような参拝は危険ですのでご遠慮ください

さまざまな昭和のお正月


1988年の元日の早朝を記録した映像には、自転車の大行列が。実はこれ、博多郵便局の年賀状配達部隊が列をなす出発式の様子です。

また、1973年の天神の初売りでは、沖縄伝統芸能の「獅子舞い」が福岡市民の拍手喝采を集めていました。本土に復帰したばかりの沖縄を祝い、新春の縁起担ぎとして披露されたそうです。

また、子どもたちの初売りのお楽しみといえばテレビゲーム。もらったばかりのお年玉を握りしめ、お年玉の袋が空になる勢いで“爆買い”をする様子も見られました。

バブル景気の熱狂!

バブル時代の初売りは、今とは熱気が段違い。記者もその雰囲気を伝えようともみくちゃになりながらインタビューしていました。

1960年代の小学生の新学期

高度経済成長期の北九州は自動車地獄。道路を横断しようとしている小学生たちの目線の先には、なんと、同じく小学生の交通整理員が。北九州の工業が世界的な繁栄を遂げた当時、子どもたちの日々にも多大な影響を及ぼしていたことがわかります。

おなじく高度経済成長期。甘木市(現・朝倉市)の小学校の登校風景を収めた映像には、泥のついた新鮮な野菜をぶらさげている子どもたちの姿が。なんと、農家が多いので給食の野菜は現物出資だったそうです。

高度経済成長期の交通取り締まり事情

自動車の数が急激に増えたことでも知られる高度経済成長期。運転手たちの安全義務の意識が追いついておらず、警察は取り締まりを強化しました。ときには走行中の運転手に停止を命じ、新道路交通法の試験問題を渡すなんてことも…!
 

また、1967年には福岡県警に九州初の新型パトカーが導入。天井から飛び出す警告灯が新装備されたことで、普通車を装い、違反車を取り締まることが可能になりました。覆面パトカーが誕生した瞬間です。

流行予想ニュースは昔からあった!

1963年には、その年に人気が出そうなヘアスタイルを紹介する「ヘアー・モード・ショー」が開催されるなど、テレビがモノクロの時代のときから流行を予想するニュースは放送されていました。
 

また、当時体育の授業で使われていた人力トランポリンのような商品「リフトマット」は美容に良いと評判になり、団地の妻たちの間で話題になったという記録も。

RKB初の正月番組の内容とは!?

1959年1月1日。RKBが、元日に初めてテレビ放送をした日でもあります。当時はロカビリー旋風真っ只中だったので、若者がフィーバーする様子や、ストリップ一座のステージを放送するという、今では考えられない映像も残っていました。

70・80・90年代のヒット商品

1970年代のヒット商品といえば「インベーダーゲーム」。みんなが夢中になり、社会的な影響も及ぼす異常事態となりました。
 

今や子育ての必需品・紙おむつがヒットしたのは1980年代。さらに同じ頃「無印良品」も誕生しました。
 

バブル景気が続いた90年代初頭は「イタ飯」(イタリアングルメ)ブームが到来。特に若い女性を虜にしたのがティラミスでした。

RKB65年分の蔵出し映像で振り返る福岡の歴史。驚きの激レア映像はまだまだ続きます!

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