中国で、外国からのスパイ活動を阻止しようとする新しい動きがあるという。5月16日にRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した、飯田和郎・元RKB解説委員長は「各国と中国の学術交流はさらに萎縮するおそれがある」と懸念を示した。
外国人からの誘いに注意呼びかけるSNS発信
「国家の安全」――。これは中国・習近平政権が何より重視してきた。「国家の安全」は、「習近平体制の安全」と言い換えていい。つまり、それが中国の今の政治システムを維持できるかどうかの最大のポイントという認識なのだろう。
そういう中で「新しい動き」として気になることがある。先日、中国のニュースサイトを見ていて「こんなことをやっているのか」「こんなことに注意を払っているのか」と驚いた。そして、その注意を国民に徹底させようとして教育・宣伝活動をしていることも伝わった。
私が見つけた記事は、当局の注意喚起を代弁する形になっている。「外国人から、このような誘いがあっても、鵜呑みにするな」と注意を呼びかけるというものだ。
「こんにちは。私はある国の大学教授です。国境を越えた学術交流のために、わざわざここに来ました。この土地の生態環境を、あなたと共同研究していきたいと望んでいます。それ相応の研究経費、それに報酬だってお支払いしますよ」
これは海外のNGO(非政府組織)やさまざまな財団が、研究という名目で中国の各地に入り込んでいるという警告だ。そして、自然保護区の地理や気象、そこの生態系に関するデータを違法に収集している。自然科学の研究を呼び掛けているようにみえるが、中にはスパイ活動ということもある。だから「安易に信じるな。気をつけろ」――そういうメッセージだ。
この記事のそもそもの出どころは、中国政府の国家安全省。スパイの摘発を担うセクションだ。その国家安全省が通信アプリの公式アカウントを通じて発信したのが上記の内容だ。例に挙げた自然保護区があるような場所は、都会から遠く離れていることもある。すなわち、外国人に接する機会が少ない地方に住む、いわば純朴な人たちが、外国人からそのような申し出を受けたら「ありがたい話だ」と協力してしまうかもしれない。報酬までもらえるなら、なおさらだろう。
「弱い国」への探検活動には情報収集という側面も
国家安全省の呼びかけを辿っていくと、こんな記述がある。まず「生態系の安全は国家安全の重要な要素である」。つまり、生態系のデータが外国の情報機関に流れて、それが「国家の安全を脅かす」という認識だ。
さらに、「過去にこんなケースがあった」と具体的な事例も示している。外国の大学がNGOからの協力を受けて、中国南西部の自然保護区において、中国側と共同プロジェクトを実施した。自然保護区の湿地や山林に観測機器を設置して、データを不正収集していた。しかも、その背後では西側の政府が関わっていた――という指摘だ。それによって「中国の政治体制の安全に、極めて重大な危害を与えた」としている。
これだけ宇宙空間を使ったデータの収集、その解析能力が向上した時代になっても、現地に分け入ってこそ、得られる情報もあるだろう。冒険、アドベンチャーというロマンあふれる意味とは別に、かつての大航海時代を含めて、欧米を中心にした、いわゆる「進んだ国」「強い国」が、「弱い国」に対して行ってきた探検活動には、情報収集という側面が小さくなかった。中国大陸も、かつてはそのような草刈り場になってきた。
日本も無関係ではない。日清戦争以降、第二次大戦が終わるまで、日本が中国大陸へ乗り出していた時代には、日本人の学生たちが中国各地に奥深く入っていて得たさまざまな情報を、日本の軍部の求めに応じて提供されることもあった。具体的には地理や気候、風俗などに至るあらゆる情報が、中国との戦争に利用された。
だから、今回の自然科学の部門にまで及ぶ締め付けは、純粋な意味での学術データの海外流出という、中国側の懸念だけではないように感じる。つまり、過去の屈辱、負の歴史と重ねて、民族主義的な動きにも通じるのではないか。いずれも、やはり習近平氏が重視する「国家の安全」を損なう要因になるという認識だ。
各国と中国の学術交流はさらに萎縮するおそれ
国家安全省が、このようなSNSの公式アカウントをつくったのは昨年夏。かつてはベールに包まれた、いわば“裏の組織”だったが、このような通信ツールを使って、堂々と発信するように活動が変化してきている。もちろん、組織の中身はよくわからない。「国家の安全」を最優先する習近平指導部において、この国家安全省は政府における最も重要な官庁の一つであり、中国共産党における国家安全委員会などの指揮下にある。
冒頭に「ある国の大学教授」を名乗って、生態環境の共同研究を持ち掛けた人物を紹介した。国家安全省がSNSに公表した文章を読むと、こんな記述がある。この「ある国の大学教授」が学術協力を隠れ蓑にして、中国の安全保障に関するデータを違法に収集し、盗んだと自供した、としている。そして、国家安全省は関係機関と連携して、この大学教授に、厳正に対処すると宣言している。この「ある国の大学教授」の「ある国」がどこなかのかは、明らかにしていないが、このように堂々と警鐘が鳴らされると、中国に関心を持つ外国の研究者たちが萎縮してしまいかねない。
中国では昨年7月、スパイ行為の定義を拡大する改正反スパイ法が施行された。なにがスパイ行為なのか、定義の範囲があいまいだ。恣意的な運用を不安視する声が上がっている。それに続いて今年2月末に、中国の国会は、「国家秘密保護法」の改正案を可決した。この改正秘密保護法では、国家機密の保護について、共産党による指導、つまり共産党の権限強化を新たに明記している。そのような流れの中で、きょう紹介した話がある。国家安全省が、外国との学術交流に対しても、躊躇なく、締め付けを強め、摘発を進めるということだろう。
自然科学の分野でもこの論理が適用されたことで、各国と中国の学術交流はさらに萎縮することになりそうだ。外国人の研究者が「中国に関しては怖いから、じっとしてタッチしない」ということになれば、それは中国にとっても不幸なことだ。
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この記事を書いたひと
飯田和郎
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。