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「障害がある人が働く場を作りたい」社長業から農家に転身、目指すは“農福連携”

50歳で手足に力が入らなくなり障害認定された男性が直面したのは、仕事ができないもどかしさでした。同じ障害がある人の働く場をつくるために取り組んだのが、荒れた農地を再生したイチジク栽培です。自身の経験を基に「農福連携」を目指します。

5店舗経営の社長業から農家に転身

福岡県西部の糸島半島。美しい砂浜と豊かな緑に囲まれています。ここでイチジクの木の手入れをしているのは高木教光さん(72)。25年前に移住してきました。新たに生えた芽を見ながら話します。

高木教光さん「これは大きくなれないね。ひこばえなんですけど、全部切ってあげないと」

ずっと農家だったわけではありません。もともとは家業のガソリンスタンドを継いで、福岡市近郊で5店舗を経営していました。その後50歳になった時、病魔に襲われました。業務を続けられなくなり2001年に事業を清算。1年ほどのリハビリ生活を経ても、左の手足に思うように力が入らず障害認定を受けました。

高木さん「30人以上の社員を抱えて20億からの商いをしていました。突然、左手左足が動かなくなったんです。脳梗塞の疑いがあり強制入院です。障害者になり仕事がなくて困ったんです。ビジネスとして障害者雇用も受け入れられるように基礎作りをしようと思いました」

以前から土いじりが好きだったという高木さんが、福の浦地区で農業に取り組み始めたのは4年前でした。その頃の畑は今と似ても似つかない有様でした。

「素地はある」荒れ地を再生してイチジク畑に

RKB小畠健太「背丈を超えるほど草が茂っていますが、かつては田んぼでした。荒れた場所を一から耕してイチジクの畑を作ったということです」

かつてはみかんの栽培が盛んで、最盛期には17軒のみかん農家がありました。それが、高齢化や後継者不足でわずか6軒に。人の手が入らなくなり荒れてしまった農地を高木さんは再び耕し始めたのです。

 
高木さん「耕作放棄地と言われるが元々はお米とかを作っていたわけですよ。素地はあるわけでしょう。心ある人がやれば畑になるし、変わってくる。それ自分の体で証明したいんです」

イチジクの栽培は、地元のベテラン農家・原田護さんとマサ子さんから学びました。2022年からは原田さんのハウスも借りて300本のイチジクの栽培を引き受けました。

ベテラン農家・原田護さん「上の方にまた芽が出ている。芽をとらなければ玉も太らない」マサ子さん「2人とも年だからもうできなくなって。畑の状態が良いうちに引き継ぐ人を探していたら、高木さんが一生懸命するということで」

高木さん「はい、頑張ります!」

イチジクの出荷量はそれまでの6倍に一気に増えました。妻の公子さんや友人にも手伝ってもらい、8月からは毎日休まず収穫と出荷を続けています。出荷先も自分で開拓し、今では糸島市内の5か所で販売するまでになりました。

自分の農地が障害者が働ける場に

「おはようございます。今日もよろしくお願いします」

忙しくて手が回らない農地も出てきたことから、高木さんは初めて障害福祉サービス事業所に作業を依頼することにしました。障害者が働ける場を作る目標に向けて、仕事の指示の出し方や配慮すべきことなどを学びます。

高木さん「若い職員が本当に気を使って、こうした方がいいよと指示する。一つひとつが私の勉強ですね。本当は自分で売りたい。地元の方とみかんなどを年を通して直売できるような仕組みができないかと」

志摩日々菜々・吉永統彦さん「うちの施設にいる方は仕事や就職をしたいのでありがたいです」

目標の実現へ前進する傍らで、高木さんは地域の人たちと福の浦地区の活性化を話し合っています。地域の外から人を呼ぼうとイチジクの収穫体験を企画し、試験的に実施しました。

福の浦まちづくり協議会・奥功会長「本当にあそこを?という場所を再生し、すごいとしか言えないですね。僕らだったらお金がかかるし、再生しても採算がとれるか先に考えてしまいます」

障害がある人が働く場を作り、まちを活性化したい。自分自身の経験から生まれた高木さんの思いが、地域に根を張って成長し始めています。

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