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山崎銀之丞『インビジブル』撮影中に犯人がバレて演技に影響!?

福岡県はミュージシャンや俳優、お笑い芸人など、芸能界で活躍している人々を数多く輩出している都道府県のひとつ。RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』では、6月13日~16日の特集企画「福岡県人会」で、4人の福岡出身芸能人の知られざるエピソードをお送りしている。15日に登場したのは、テレビドラマや舞台で活躍中の俳優・山崎銀之丞さん。上京前にはRKBラジオでレギュラー番組を持っており「放送後に食べた屋台の味が懐かしい」と当時を振り返った。  

撮影がまだ続いている最中に“犯人”がバレた!

田畑竜介アナウンサー(以下、田畑):生でよく出ていただきましたこんな早い時間に。舞台やドラマの撮影も忙しい真っ只中ですよね?

山崎銀之丞さん(以下、銀之丞):ドラマの撮影は全部終わりました。今は舞台公演に専念しています。

田畑:『インビジブル』RKBテレビでも金曜夜10時放送中ですけれども、前回(6月10日放送分)で「まさかリーパーお前だったのか!」って分かってね。桐谷健太さん自身は知っていたんですか?

銀之丞:そうなんですよ。健太くんは最初から自分が犯人だったことを知っていました。共演者にはずっと隠していたんですが、あるシーンの撮影中、たまたま高橋一生くんと僕と健太が監督と打ち合わせをしていたんですよ。そのときに健太がポロッと「そうですよね。ぼくサイコパスですもんね」って言って、あいつ途中でバラしちゃったんですよ。俺たちも「誰が犯人なんだろう?」と思いながら撮影をしていたのに。

田畑:そこからの演技で影響なかったですか?

銀之丞:もちろんありますよ!物語の後半で、僕が彼を頼りにして捜査1課長を任せるというシーンもあるんですが、そこもドン引きですから僕は。「こいつに任せていいのか?」っていうね、そういう思いで演じておりました。

『インビジブル』プロデューサーは『金八先生』でADだった

銀之丞:『インビジブル』は、テレビドラマでサイコパスを扱うという難しさがあります。だからとにかくスタッフ・キャストともに入念に打ち合わせをしながら物語を紡ぎ出していったんです。なかなか台本が決まらなかったりして、時間に追われる日々でした。

銀之丞:実はプロデューサーは僕が昔『3年B組金八先生』に出演していたときのADだったんですよ。彼も偉くなって、プロデューサーになり、ドラマのことをものすごく緻密に計算していて、ちょっとでも物語にほころびが出たりとかすると「どう整合性をとっていくか?」ということで、撮影が止まったりとかね。そういうこともたくさんあって、時間に追われていました。

田畑:それでも毎週ちゃんと放送できているってのはすごいスケジュール感でやってるんですね。

銀之丞:そうですね。今週(6月17日)最終話を迎えますので、どう着地するかを見届けていただきますと非常に嬉しいです。

RKBラジオ『HiHiHi』レギュラー時代はクレームの嵐

田畑:銀之丞さんはかつてRKBラジオ『HiHiHi』(1986年~1991年)でメインパーソナリティを務めていただきましたけれども、その当時を思い出して「これは忘れられないな」っていうの出来事はありますか?

銀之丞:夜9時からの12時まで3時間の生放送を月~金のベルトで23歳から始めて。最初の1年間は坂口卓司アナウンサーと2人で交代だったんですが、2年目からなぜか僕一人でやれっていう命令が下りて「そんな馬鹿な。こんな“飛び道具”を使っていいのか」と思いましたね。よく怒られましたよ。年配の方たちから特にね。「言葉づかいが悪い」とかクレームの嵐でしたね。でもね、RKBのプロデューサーにもディレクターにもすごく守っていただいた記憶があります。

田畑:ラジオパーソナリティの経験がその後に生かされたことって何かありますか。

銀之丞:役者に専念することを決意して、わがままを言って(番組を)辞めさせてもらって上京して、芝居の世界に入るわけですけども、そこで出待ちをしてくれる方がいて「ラジオ聴いてました」って。名前を聞いても覚えてないんですが、ラジオネームを聞いたとたんに「お前だったのか」っていうね。そういうときは嬉しかったですね。あと、リスナー同士が結婚するときに、事務所を通して「司会をやってくれませんか」という依頼が来て、僕も本当はやってあげたかったんですけど、スケジュールが合わなくてね、残念ながらお断りしなきゃならなかったんです。

銀之丞:振り返ると良いことも悪いことも含めて、23歳から28歳まで夕方5時ぐらいに(局に)入って、新聞やいろんな雑誌に目を通して、リスナーから貰うハガキを全部読んで(生放送を)やってたもんですから「僕の青春を返せ」って感じですね(笑)

田畑:「ありがとう」って言うのかと思ったら!(笑)

福岡のソウルフードは屋台の味ともつ鍋

田畑:今はなかなか福岡に戻ってくる機会は減りましたよね?

銀之丞:仕事で年に2回行くか行かないかぐらいですかね。ちょっと時間が空いて、福岡の街をぶらつくと、あまりにも発展しすぎて、変わりすぎて、昔の風情が消えていってるのがちょっと寂しいかったりするっていうね。再開発も進んで、よく行っていたお店とかもそこになかったりあるいは場所が変わってたりとかで、“福岡迷子”になってますね。

田畑:福岡に帰ったら必ず食べたくなるようなソウルフードって何ですか?

銀之丞:夜のラジオの番組やらせていただいてたんで、局を出るのは(深夜)1時とか2時なんですよ。ADやミキサーはアルバイトの大学生がやってましたんで、僕も若かったんですけどもみんなを連れて飯食って飲んでましたね。それからカラオケ行くわ、城山ボウルでボウリングするわみたいな。

田畑:城山ボウル、懐かしい!もうないんですよね。

銀之丞:そんな生活をずっと送っていたので、ソウルフードというとやっぱり屋台に行きたくなります。あとはモツ鍋かな。

田畑:「みんなで囲むご飯」っていうのが思い出に残ってるってことですよね。

 

山崎銀之丞さんは現在「氷川きよし特別公演」に出演中。同公演は8月から福岡・博多座で上演される。
 

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