PageTopButton

5回目はみやま市のこうやの人形について

全学年が定期的に学校薬剤師の先生から常備薬についての講義をうけている塩原小学校。
受講する意味がよくわかる素晴らしい時間でした。是非お聴きください!

今回はこれから番組に登場する主な人物のプロフィールを紹介していきます。
神功皇后、仲哀天皇、武内宿禰の3人です。3人はいずれも福岡と大変つながりの深い人物です。
神功皇后は仲哀天皇のお后で息長帯日売の命(おきながたらしひめのみこと)といいます。
この名前から推定して、海中に潜って漁をする海人族と関係があるという。
息長氏はもともと琵琶湖の南東を拠点とした海人族だったという。
母は葛城の高額比売で、新羅王子の子、天の日矛の5世の孫だとか。
神功皇后は夫の仲哀天皇と熊襲を討伐するため香椎を拠点に活躍します。
武内宿禰は二人につかえた人物。仲哀天皇は途中亡くなりますが、神功皇后と武内宿禰は福岡県内をぐるりと回り。新羅へ遠征したりします。
この3人のプロフィールを神功皇后研究の第一人者、河村哲夫さんが詳しく紹介します。

※写真はこうやの宮の人形~中央の人形~神功皇后?
みやま市のこうやの宮の人形のモデルとなったのは一体どういう人物であるのかはいろんな説があってはっきり分かりません。
そこで、今回は「神功皇后伝承を歩く」の著者、綾杉るなさんにこの人形について詳細に伺っていきます。
まず、人形の並び方が、昔から地元に伝わる並び方を平成時代の台風の後代えたといわれます。
そこで、昔の並び方で検証しますと、中央が鏡をもった男装の女性像でした。
これが綾杉さんの説では、神功皇后ではないかというものです。
その左の、かつて高貴な人が着る青い色の着物を着ている人物は応神天皇の可能性があるとか。
右が七支刀をもった男性。これが武内宿禰の可能性があるということです。
そして、他の人形より少し大きめな、平安朝の衣冠束帯の衣装を着た人物は物部の阿志賀野神。
そして、左端のカッパ人形をいわれる裸の像は中国から渡ってきた技術集団の国栖(くず)といわれた人達を表した像である。といったのが綾杉さんの説です

古代の福岡を歩くレポート(中島理恵)

古代の福岡を歩くレポート(中島理恵)

神功皇后伝説を歩くなら絶対に外せないのが、福岡市東区の香椎宮。
古代史ファンが香椎宮を訪れる時の楽しみ方としては、「神話の現場が今も残っていて、そこを訪ねることができること」と、香椎宮・広報担当で権禰宜の木下英大(ひでお)さんはおっしゃいます。
香椎の地名の由来ともなった、仲哀天皇の棺を立てかけた『棺かけの椎』。
三韓から戻った神功皇后が、鎧に付けていたお守りの枝を差したものが大きくなった『綾杉』。
禊をした香椎潟の『三島神社』も重要です。
神功皇后にあやかった「比売守り」や、ご夫妻にあやかった夫婦守りなど、香椎宮のお守りをいただくのもおすすめです。

秋・冬は世界遺産・宗像沖ノ島ウォッチングのシーズンです。
宗像大島に設置したライブカメラのデータから、9~12月が見える確率が高いことが判明しました。
データを分析した、宗像市世界遺産課の岡崇さんのおすすめは『みちびき沖ノ島』というアプリ。
ライブカメラ映像を楽しめるだけでなく、どの方向に沖ノ島があるかを示してくれる機能があるんです。
これがあれば、小呂島との見間違いも防げるし、山の中からでも部屋の中からでも沖ノ島のある方向がわかるのです。

→みちびき沖ノ島アプリ=https://okinoshima-app.jp/?locale=ja

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう