PageTopButton

アロマンティック・アセクシュアルが求める“つながり”“幸せ”とは

アロマンティック・アセクシュアル。この言葉に触れたことがあるだろうか? 今年、話題となったドラマ『恋せぬふたり』で描かれたことで、多くの人に広まった。そのドラマの考証もつとめ、アロマンティック・アセクシュアル当事者としてYouTubeで発信をしているなかけんさんにRKBラジオの情報番組『田畑竜介 Grooooow Up』で2回にわたって話を聞いた。
 

恋愛関係が分からず一人だけ取り残されたような感覚

田畑竜介アナウンサー(以下、田畑):なかけんさんはアセクシュアルを公表していますが、そもそもアセクシュアルとはどのようなものなのでしょうか?
なかけんさん(以下、なかけん):「アセクシュアル」を語る上でかかせない「アロマンティック」についても一緒にお話をします。「アロマンティック」は他者に対して恋愛感情を抱かない人のこと、「アセクシュアル」は他者に対して性的に惹かれない人のことを指しています。私は、恋愛的にも性的にも誰かに対して惹かれることがない感覚があるため、アロマンティックとアセクシュアル、どちらの言葉も自認しています。もちろん、アロマンティックのみ、アセクシュアルのみどちらかだけを自認する方も多くいらっしゃいます。

 

田畑:なかけんさんが周囲との違いや違和感を自覚したのはどのくらいの時期だったんですか?

 

なかけん:「恋愛」に対する違和感は、14歳のときに初めて抱きました。当時仲の良かった子から告白を受けて、それが私は恋愛的な告白だと分からず、お買い物のお誘いだと思って、「いいよ」と軽く返したのがきっかけで交際がスタートしました。今思うとすごくその子に申し訳ないことをしたなと思っています。そこから数か月経って仲が良かったのに離れていってしまって、「なぜだろう?」と思い共通の友人に理由を聞いたら、「せっかく恋愛関係になったのに、何も進展がないからだよ」と言われて…。周りもその理由に納得している様子があったのですが、私自身はその恋愛関係とやらが何なのかがわからず、一人だけ取り残されたような感覚になりました。また、「恋愛関係」とされるものによって大切な友人を失ってしまったことにショックを受けました。そこから、「私は他の人と違うのかもしれない」と違和感を抱きはじめました。

可視化されていないだけで当事者はたくさんいる

田畑:アロマンティックやアセクシュアルであるっていうことを公表しようと思ったのはなぜだったんですか?

 

なかけん:17歳のときに、ネットの掲示板でその言葉を見つけたとき、「これって私のこと言っている!」と思い、その言葉を自認するようになり、当事者の方が集まる交流会等に参加するようになりました。何回か参加していく中で、よく話題にあがったのが「アロマンティックやアセクシャルという言葉が社会に浸透してないから、すぐに言葉にたどりつけないし、言葉を使って周囲に説明ができない。説明したとしても、結局は何それ? で終わってしまう」ということでした。そこから、この状態を何とかしない限り、悩んだ時にすぐに言葉に行き着かないし、説明として使用できる状況にはならないだろうと感じました。そこで、私の体験が少しでも参考になればと思い、YouTubeで発信を始めたことがきっかけです。
田畑:実際にYouTubeで発信することによって、反響はありましたか?

 

なかけん:すごくありました。YouTubeのコメント欄に「ずっと悩んできたんですけど、初めてこの言葉に出会えて、気持ちが救われました」「ずっと前からアセクシュアルを自認していて、この言葉がどんどん広がってほしいと思っています」といったようなコメントを数多くいただきました。印象的だったのが、発信をきっかけに、メディアからも多くの反応をいただいたことです。中には記者の方から、「私自身、この言葉について調べていた」「友人に当事者の人がいてぜひお話を聞きたいと思った」といった話を聞かせてくださったこともあり、可視化されていないだけで当事者の方って本当にたくさんいらっしゃるんだろうなと強く感じた機会でした。

「幸せの形」は人それぞれ

田畑:なかけんさん自身が、ご家族や友人にアロマンティック、アセクシュアルだと告白する時、どんな気持ちだったんですか。

 

なかけん:私は家族にも伝えているんですが、「恋愛感情を抱かないよ」「性的に惹かれないよ」と伝えたとしても、「つまりどういうこと?」みたいになってしまうことが多いんですよね。中でも一番多かったのは「運命の人に出会っていないだけだよ」とか「いつかいい人に出会えるよ」みたいな、悪意ではないというか、むしろ励ましとして言ってくださる言葉でした。ただ、その言葉を聞くと「恋愛感情を抱かないとか性的に惹かれないことは信じてもらえないんだなぁ」と感じつつも、悪意ではないからこそ相手を否定したくないという思いで、反応に悩んでしまうことが多々ありました。

 

田畑:アロマンティックやアセクシュアルだから困ることや大変なことはありますか。

 

なかけん:周囲の会話に馴染みにくかったり抑圧されてしまったりする場合があることかなと思います。例えば、学生時代、恋話や下ネタを含む会話がすごく盛んになる時期に、あくまで「みんなそういうことを考えているのが当然」という社会が出来上がっていると、そこで話に馴染めないと、何か隠しているとか、むっつりとか、そういうふうな解釈をされることが多い気がします。なかなか周囲に自分の感覚を信じてもらえない当事者の方も多いのではないかと思います。

 

なかけん:さらに、結婚適齢期が来た時に、親御さんから「結婚しなさい」「誰かいい人いないの?」としつこく聞かれて、そこから自身の恋愛的、性的な惹かれについて考えて、アロマンティックやアセクシュアルを自認する人もいます。これらのことから、疎外感や孤独感みたいなものを抱えやすい現状があることがわかるかと思います。また、ロールモデル的な存在もすごく少ないなと思います。この社会において、結婚をして子供を育てて、家族で仲睦まじく暮らしていくみたいな「幸せ」の形が出来上がっていると思うのですが、「幸せ」の形って当然それだけではないはずで。1人で生きていきたいという方もいれば、恋愛や性的な関係でないけれど、2人や複数人で暮らしていきたい、そういう「幸せ」を得たいという方も沢山いると思います。

 

なかけん:ただ、そういった形をとりたいときに、サポートしてくれる制度や支援がまだまだ少ない現状がありますよね。なおかつ、そういう生き方をしている、いわばロールモデルもなかなか見えてこないので、アロマンティックやアセクシュアルを取り巻く課題はまだまだたくさんあるという感覚ですね。

考証を務めたドラマの放映で「社会が変わった」

田畑:アロマンティック、アセクシュアルがテーマのNHKドラマ『恋せぬふたり』では、考証も務められたということなんですが、このドラマが放送されたことによって変化は何かありましたか?

 

なかけん:すごくありました。私が所属しているアロマンティックやアセクシュアル(その他周辺のセクシュアリティ)に関する活動を行う「AsLoop」という団体で、「アロマンティック・アセクシュアル考証」として、脚本へのコメント、現場への立ち会いなどに関わらせていただきました。ドラマが放送されてからは、当事者同士の交流会で必ず2、3人の方は、「ドラマを見てからここに来た」という方がいらっしゃって、すごく社会的に変わってきているなと感じています。
田畑:交流会とはどのくらいの方が参加するのでしょうか?

 

なかけん:コロナ禍の影響があり、オフラインでの開催が難しい時期もありましたが、10人以下の少人数でじっくりと話す会もあれば、100名規模の会もあります。基本的に開催されるのは関東が多いのですが、以前に比べると少しずつ地方での開催も増えてきている印象です。私自身、地方に行かせていただいたときには、「この土地でこの会が開催されたこと自体が希望です」と言って涙を流された方もいて、特に地方では集まれる場があることに大きな意味があると思っています。

 

田畑:当事者の方からすると、こういう場があることで自分の居場所を確認できて大きいですよね

 

なかけん:本当に大きいと思います。私自身も掲示板でコメントを見ていると、近い人がいることはわかるけれども、とはいえ実際にはいないんじゃないかなというどこか疑いの目を持ってしまっていたのですが、交流会に初めて参加したときに、本当にいるんだという驚きがあって、そこからぐっと安心感が高まったなと思います。もちろん、交流会に参加するか否かはご本人が決めることですし、「交流」以外でも安心感を得られる場が増えて欲しいとも感じています。

自分の中にある恋愛・性的なものを考える機会を作りたい

田畑:今後、なかけんさんはどんな活動をしていきたいですか?

 

なかけん:今は動画での発信や、学校・行政での講演活動、メディア発信が中心になっていますが、社会の状況も少しずつ変わってきているため、活動の方法も少しずつ調整していく必要があると感じています。アロマンティックや、アセクシュアルという言葉が広がっていくことに合わせて、少しずつサービスや支援も拡大させていくべきだなと。例えば行政の方向けに、アロマンティックやアセクシュアルの方から相談が来たときにどのように対応するのかであったり、恋愛的、性的な関係ではないパートナー作りの助けになる場を考えるなど、具体的な支援も広げていきたいと思っています。

 

なかけん:また、アロマンティックやアセクシュアルという言葉をただ伝えるだけではなく、「恋愛とか性的な関係とはそもそも何なのか」ということを改めて考える機会を作りたいです。やっぱり、日々生きていく中で、恋愛的、性的なものに漠然と触れることはあっても、そもそも恋愛とは何なのかとか、性的な関係とは何なのかと考える機会って、ものすごく少ないと思うんです。だからこそ、「恋愛関係なんだからこれやっていいでしょ?」とか「性的な関係だし許して」とかいうふうに、勝手に解釈しちゃったり、お互いの承諾を得ずに…みたいな部分とかもあると思っていて。なので、自分の中にある恋愛、性的なものを考える機会を、このアロマンティックやアセクシュアルという視点から作っていきたいです。

「多様な性」ではなく「多様な幸せ」

田畑:もし自分の子供たちがそういうことで悩んでいて、でも告白なかなかできないという子たちが思い切って告白したときに、親としてどう受け止めて、どう接するのがいいんでしょうか?

 

なかけん:まずは否定せず、相手のそのままを受け止めるということが一番大きいかなと思います。「ジャッジしない」という表現も近いのですが、「いつかいい人出会えるよ」と言いそうになったとしても、まずは自分の感覚だけで判断せず、そのままに受け止めてあげて欲しいなと思います。そして、多様な性、LGBTQという言葉を最近すごくよく聞くようになったと思うのですが、私は、多様な性のあり方を知るというよりも、「多様な幸せ」を知るということかなと思っています。「この子にはこの子の幸せのあり方があるんだ」ということを、自分の中に留めておくだけでも反応は変わってくるのかなと。ぜひその子が今どういう幸せを求めているのかということを優先して、接してもらえると嬉しいなと私は思います。

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう