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世界遺産登録めぐる“国際政治の力学”ウクライナと対照的な台湾

ロシアがウクライナに軍事侵攻して2月で1年になる。そんな中、ウクライナ南部オデーサの歴史地区が、世界遺産に“スピード登録”された。その一方で、日本の近隣には、世界遺産登録の申請すらできないケースもあるという。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長が、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、世界遺産登録をめぐる国際政治の力学について解説した。  

ウクライナの港湾都市オデーサが世界遺産に


写真・オデーサの大聖堂

 

ドイツをはじめNATO諸国がウクライナへ戦車の供与を決定。それにロシアが激しく反発するなど、戦争が始まって2月で1年になるが、先行きが見えない。そういう中でこのニュースに注目したい。

ユネスコ=「国連 教育・科学・文化機関」の世界遺産委員会は1月25日、ウクライナ南部オデーサの歴史地区を、世界遺産に登録することを賛成多数で決定しました。オデーサは、18世紀後半から19世紀にかけての港町の面影を残し、「黒海の真珠」とたたえられてきました。しかし、侵略したロシア軍による砲撃や空爆を何度も受けました。
戦争が始まってからこの1年間、オデーサという港湾都市の名前を何度も聞いてきた。オデーサは、多くの民族が集まり、様々な文化が混ざり合っている。ここから生まれた文化、芸術は数多い。街並みはオデーサ特有の足跡を伝えている。

ユネスコの決定に対し、ウクライナのゼレンスキー大統領は「侵略者から、我々の真珠を守ってくれている仲間に感謝する」と表明。一方、ロシア外務省は「政治的な動機によるものだ」と決定を非難した。

世界遺産は建造物や遺跡を対象にした「文化遺産」、豊かな自然から選ぶ「自然遺産」、それに文化と自然の両方の要素を合わせ持つ「複合遺産」の3つに分類される。福岡県内の世界遺産というと、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」、官営八幡製鉄所など「明治日本の産業革命遺産」がある。

オデーサは2022年10月に正式申請し、年明けの1月に登録決定。福岡県内の2つの世界遺産に比べ、認可のスピードがかなり速い印象だ。それもそのはず、登録申請を受けたユネスコ側は手続きをスピードアップさせていた。ユネスコの事務局長は「オデーサの世界遺産登録は、これ以上の破壊から守るため、我々の決意を示している」と述べている。やはり、戦争が影響しているわけだ。

ただ、ウクライナも、世界遺産登録を戦術的に活用している。「ロシアにこれ以上の破壊行為をさせない」、また「ユネスコなど国連機関の場で、ロシアをさらに孤立させる」、そして「国際社会を『反ロシア』で団結させる」目的があるのは確かだ。そうみると、ユネスコの世界遺産登録は、国際政治に大きく関係している、と言える。

国際政治の関係で世界遺産登録ができない台湾

世界遺産登録が国際政治に関係している、といえば、オデーサのスピード登録の一方で「世界遺産に登録申請すらできない」ケースもある。台湾だ。

台湾は国連に加盟していない。国際社会の大多数からは、国家として認められていない。そして、国連機関であるユネスコへの加盟も認められていないから、台湾には一つも世界遺産がない。「台湾は国連に加盟していないから、世界遺産登録ができない」ということだと、やはり、ここでも、国際政治が関係しているわけだ。

もちろん、台湾にも世界遺産にふさわしいものが、たくさんある。 台湾の政府は、世界遺産の候補地の選定運動を続けてきた。さきほど紹介した「自然遺産」「文化遺産」「複合遺産」を合わせて、18か所が候補地になっている。自然遺産では、台湾中部にそびえる玉山(ぎょくざん)。標高3952メートル、富士山より高い。1941(昭和16)年の日米開戦時、日本海軍が暗号電文した「ニイタカヤマ ノボレ」の「ニイタカヤマ」とは、この玉山のことだ。

写真・紅毛城

また、台北の郊外に、淡水という港町がある。そこに紅毛城(こうもうじょう)という赤レンガの古跡がある。17世紀にオランダ人が建てた要塞だ。紅毛とはオランダ人を指す。オランダの前はスペイン人がここの主だった。海に四方を囲まれた台湾の歴史そのものだ。

日本統治時代の建造物も世界遺産の候補地

台湾政府が世界遺産の選定候補地に挙げている18か所は、われわれ日本人も、もっと関心を持つべきだと思う。日本は戦前、50年間も台湾を統治した。選定候補地には日本統治時代に出来上がり、今も残るものも含まれているからだ。

例えば、台湾南部・台南県にある烏山頭(うさんとう)ダムと農業用水路。干ばつに悩まされていたこの地域に、大規模かんがい施設を建設することで、時に干ばつ、時に洪水に襲われていたこの平原を、豊かな穀倉地帯に変えた。指揮したのは日本人技師、八田與一(はったよいち)氏。1920(大正9)年から10年間かけた大工事で、このダムは当時「東洋一のダム」と呼ばれた。

もう一つ、台北の都市圏に「楽生療養院」と呼ばれる、ハンセン病患者の施設がある。やはり日本統治時代の1930(昭和5)年に設立された。現在も一部に、患者の収容施設である日本式の平屋の家屋が残っている。日本政府は内地でハンセン病の強制隔離政策を執ってきたが、これを台湾にも持ち込んでいた。台湾の患者たちも長く一般社会から切り離されていた。

このハンセン病患者施設は、烏山頭ダムと異なり、負の意味の世界遺産といえる。台湾に所在するが、日本人が日本の歴史を知る上でも重要な建造物だと思う。日本にも、世界遺産登録を応援する団体がある。

文化や歴史は政治に阻まれてはいけない

中国は、台湾に国際空間を与えないために、台湾の国連加盟、ユネスコ加盟を認めていない。台湾の世界遺産の選定候補地が、世界遺産に認められる道は限りなく険しいのが現実。しかし、文化や歴史こそ、政治に阻まれてはいけない。国籍に関係なく、保護してこそ、人類共通の財産になるはずだ。

日本でも、世界遺産への登録を地元自治体が急ぐケースが多いが、世界遺産は時と、その場所によっては国際政治に大きな影響を受ける。これからは世界遺産に対し、そんな見方もしてみたい。

◎飯田和郎(いいだ・かずお)
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。
 

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