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特技はプラスチックと話をすること

暮らし
前回のコラムでは普通のおじさんだった僕がSDGsに目覚め、沼にハマり、SDGsおじさんになるまでのお話を書きました。今回は僕がSDGsおじさんになってから身についた僕のの特技、「プラスチックと話ができる」ことについてお話ししたいと思います。

「プラスチックと話ができる」これはネタでもスピリチュアルでもありません。
この話をすると笑う人、共感してくれる人、ポカンとする人、様々です。僕がプラスチックとどういう話をしているのか。皆さんに伝わるかどうか分かりませんが、書いてみます。最後に壺や石を買うように勧めたりアフェリエイトのURLに誘導したりはしませんので、最後まで読んで頂きたいです。

ペットボトルを拾う

海が見たくなったり、潮風を浴びたくなったりしたとき、RKB放送会館の裏がすぐ海だということもあり、しばしば浜辺に行きます。砂浜にいると「ペットボトル」が沖から流れてきます。それを拾い上げ(時には自ら海に飛び込み、回収します。僕はこれを"お迎え"と呼んでいます)ペットボトルを見つめます。まずは「どこから来たのか?」「誰が捨てたのか?」。当然、ペットボトルは何も言いません。なので、自分で想像します。

「コンビニで買って、飲み干した人が、川に捨てられたのか」。
「橋の欄干に置いかれたものが風で川に落ちたのか」。
「ビーチに来た観光客が捨てていったものなのか」。
「向かいの島の人が捨てて、流れてきたのか」。
「船に乗った人がポイ捨てしたのか」。

ペットボトルは答えをくれませんが、話しかけているうちに気付いたことがあります。

落ちているごみを拾う=人のため?

僕も数年前まで、環境問題について考えたことがない人だったのでわかるのですが、「道端に落ちている誰のものかわからないごみを拾う人=人のためにやっているボランティア精神のある人」というイメージをお持ちの方が多いのではないでしょうか。しかし、僕はいま、海や道に落ちているペットボトルを「人のごみを片付けている」という感覚はありません。

色んな種類のペットボトルを拾って話をしていくうちに「これ飲んだことある!」「自分が好きなやつだ!」「運動した後飲みたくなるやつ!」など、ごみとなっているペットボトルは自分と無関係ではない、身近なものだと気付かされてきました。そして、「【自分が捨てたものではない】という保証はない」という感覚が沸き上がってきたのです。

【自分が捨てたものではない】という保証はない

それはなぜか。ごみ箱のその先を知らないからです。僕はペットボトルをポイ捨てせずに、ごみ箱にきちんと捨てています。分別して、地域の回収日にきちんとゴミ出しをしています。でも、その行き先は知りません。

僕が知らないところで袋が破れていて、僕の飲んだペットボトルが一本、道に転がる可能性はないだろうか?

こうして、ペットボトルごみと話をしているうちに、ペットボトルからのメッセージが僕の頭の中にふってきました。それはこんなメッセージです。

《ペットボトルからのメッセージ》
わたしは、人々の役に立つために生まれてきたのに・・・。
みなさんが、安心安全に美味しい水を飲めるようにと作られたのに・・・。
今は海ごみの代表格。いつからわたしはごみと呼ばれるようになってしまったんだろう。

衛生的な飲み水を支えてきたペットボトルが海ごみになる矛盾

僕はハッとしました。拾ったものは「ペットボトル」。でも呼び名は「海ごみ」。
人間がいつでもどこでも衛生的で美味しい水を手に入れ、持ち運び、飲むことができるように使われてきたペットボトルが、使わなくなったらゴミ呼ばわり。そして、生命の源でもある海を汚してしまっている。

ペットボトルに限った話ではありません。ビーチクリーン活動では、何のどこの部分だか分からない破片を拾うことが多いです。その破片さえも、自分が捨てたものでないという保証はありません。

この沖から漂着したプラスチック片はさすがに僕の持ち物として見覚えはない。でも、もしかすると、僕がいつも食べている魚を食卓に届けてくれている漁船のコンテナの破片だったら?僕に関係のないゴミだとは言えないと思うんです。

こんな風に、誰のものだったかわからない落ちてるゴミのすべてが、我々の生活を支えていた一部だったはず。

色々お話ししましたが、何が言いたいかというと、人間の行動の矛盾を思い知らされた、という話です。

SDGsの取材や活動をするなかでお世話になっている九州大学の先生が話していた言葉が印象的でした。"昔は波と風に乗って人や文化が大陸にたどり着いていたのに、いま流れてくるのはごみばかり"。

我々の世代が、こんな歴史を生み出してしまうのは、残念ではないでしょうか。しかし、現代において人は暮らしていくうえで、完全脱プラスチックの生活を送ることはほぼ不可能です。次世代により良いバトンを渡したい、僕は"ごみ拾い"はこの矛盾を解決する力があると信じています。

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