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金メダリスト・道下美里選手 密着6年間

太宰府市在住の視覚障害ランナー・道下美里選手が、東京パラリンピック最終日の女子マラソンで見事に金メダルを獲得しました。前回のリオ大会では銀メダルでしたので、5年越しの悲願達成となりました。

大会当日の東京は明け方から雨が降り、スタート時の気温は19度でしたが、体感温度はさらに下がっていました。暑い中でのマラソンを想定して準備をしていた道下選手にとっては、少し予想外だったかもしれません。実際、レース中盤まではロシア選手に先行されていました。しかし、30キロ過ぎでトップに立ってからは、これまで磨き続けてきたリズムの良い走りでどんどん後続を引き離し、先頭で国立競技場に帰ってきました。その瞬間、厚い雲の隙間から光の柱が現れたのを見ました。照らし出されたのは、優勝のフィニッシュテープを切った道下選手の最高の笑顔でした。嬉しさがこみ上げるのと同時に、思わず見とれてしまったのを覚えています。

取材をスタートさせた2015年当時、道下選手はマラソン強化指定選手になっていたものの、まだ専業主婦でした。リオパラリンピック選考会である翌年の別大マラソンに向けて取材をお願いしたところ、まず夫・孝幸さんと話をして欲しいと答えが返ってきました。すぐに企画書を書いて、ご自宅の近くにあるファミリーレストランで道下夫婦に緊張しながらプレゼンテーションしたことが、今日まで6年間に及ぶ取材の始まりとなりました。

道下選手は本当によく笑いますし、涙もろい選手です。とにかくいつも全力なので、一つ一つの結果に対して感情の起伏が大きいところがあります。そして、彼女のそのひたむきな姿にたくさんの人が共感し、伴走や大会の応援をする「チーム道下」は100人以上になっています。また、取材を続ける中で、道下選手の心の強さを感じたことが何度もありました。特に東京パラリンピックがコロナ禍で1年延期になったと発表された時、数か月前の別大マラソンで世界記録を更新して絶好調だったので心配して連絡したのですが、道下選手は「人生の途中で目が不自由になってからは、予定通り目的地に着くことは少なくなった。今回も到着するのが少し遅くなっただけで、やるべきことは全く変わらないから」と、笑っていました。どんなに困難な状況でも常に前向きでいられたことが、金メダルに繋がったのだと改めて実感します。

レースから2日後に福岡空港到着の取材に行った際、道下選手から「金メダル、かけてあげようか」と言ってもらえました。長年にわたって取材を担当させていただいたことに、大きな幸せを感じた瞬間でした。

道下選手は東京パラリンピックが終わって1週間ほど休みましたが、すでにいくつかのレースに出場しています。決して立ち止まることがない道下選手の活躍を、これからもお伝えしていけたらと思っています。

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