PageTopButton

SDGsおじさんが骨折して気づいたこと【障害とSDGs】

「おじさん」は人生の新しいステージ!

いまだにおじさんと呼ばれることに抵抗を感じるも、あと1ヶ月で47歳。この数字をみると完全体のおじさんですね。そして最近「おじさん」と言われることに抵抗すべきではない!受け入れなければと思わされる出来事がありました。

それは骨折(右足小指の付け根)です。原因は自宅玄関で段を踏み外してしまったから。なんともおじさんっぽい理由です。日常生活における骨折は年齢からくる運動能力の衰えが原因の一つでしょう。今更ですがこれでもう身も心も「おじさん」となりました。前向きに捉えれば新しいステージに入ったわけで、そう考えればワクワクしているのも事実です。

はじめての入院&手術

骨折に伴い入院&手術もすることになりました。入院期間は5日間と短いのですが、どちらも僕にとっては人生で初めての経験です。担当の先生からは「入院して手術をした方が治りは早いが、しなくても治る」と言われました。おそらく以前の僕なら、自分の治癒力だけを頼りにするというパターンで、後者を選んでいた気がします。しかし、環境問題に関心を持ち始めて以降、「何でも自分で体験し発信する」という大切さがわかるようになったので、まさにピンチもチャンスだと思い、迷わず入院&手術を選びました。

今後僕が「おじさん」から「おじいさん」になる過程で、おそらく手術や入院にもいずれ直面すると思うので、今のうちに経験して、準備しておこうという打算があったことも、ここでそっと告白しておきます。

現在、入院4日目。手術も終わり、あと1日で退院という状況で、僕は今このコラムをベッドの上でしたためています。

松葉杖生活は不便の連続

足を骨折してからの松葉杖生活はとにかく不便の連続です。入院直前まで仕事をしていたのですが、まずは出退勤が大変でした。自宅から会社までは車で約15分なのですが、右足を骨折しているため運転ができず、これまで通り自家用車で通勤することはできません。そこで思いつく手段はタクシーです。でも、タクシー通勤も毎日となると経済的に難しくなります。

余談になりますが、ある人にこのことを相談したとき、「私ならタクシーで行く」と堂々と言われ、絶句しました。それと同時に、「この人とは社会問題について議論することは難しいし、互いの思いが交わることはないだろうな」とも感じました。もちろん、「タクシーに乗る」ことが悪いわけではありませんし、この人は経済的に余裕があり、僕には経済的余裕がないというだけの話かもしれません。しかし、僕はこの言葉に感覚の隔たりを感じ、一方で僕自身がこういう思いを誰かにさせている場面があるのかもしれないという気になったのです。

というのも、環境問題やSDGsの話をすると「金持ちの道楽」と捉えられることが多々あるからです。「環境問題への取り組みの大切さは理解しているけど、日々の生活など現実的に経済面を考えるとそう簡単にはできないよ」というわけです。僕自身が日々、公私共にSDGsに取り組むなかで、こうした活動や僕のことを、時折そういう感覚で見ている人がいることは薄々感じてきました。実際、僕自身が「経済的弱者」に当たるかどうかは分かりませんが、「私ならタクシーで行く」といったその人に感じたのは、この「経済的な面を考えるとそう簡単にはできないよ」という感覚と同じだったように思うのです。

松葉杖でバス通勤

再び、通勤の話に戻ります。妻に送ってもらうという方法もありましたが、うちは共働きで、朝の貴重な時間に「僕を送る」というタスクが増えると、妻の負担も増え、子どもにもしわ寄せがいってしまうので、結局バス出勤を選びました。

出勤時のバスは、当然ながら通勤や登校のラッシュと時間が重なり混雑しています。でも、松葉杖を使っている人が乗車してくれば、席を譲ってくれる人も多いのでは…。今回はそんな好意にも完全に甘えようと心を決めました。

そして、もう少し細かく松葉杖でバスに乗るイメージトレーニングをしてみました。

例えば、松葉杖に気づいた方が、立っている乗客の方をかき分けながら「どうぞ」と声をかけて下さる。でも、その座席に座らせてもらうためは、その方がかき分けてきた乗客をまたかき分けて椅子まで行かなければならない。これはかなり気を遣いそうです。僕の場合、松葉杖生活は数週間なのでまだ耐えられるかもしれませんが、それが毎日となると、バスに乗ること自体を諦めてしまう人もいるかもしれません。さらに、それが車椅子であれば、もっと人の助けが必要なはず…。こうした精神的ストレスのなか、松葉杖や車椅子で毎日にバスに乗れる人はそんなに多くないのではないかと思いました。

それでは、実際バスに乗ってみてどうだったのか。なんと、想像以上にバスが混んでいたため、結局ずっと立っていました。松葉杖とはいえ、怪我している方の足も辛うじて地面につけることはでき、松葉杖さえ見えなければ普通に立っているように見えるのです。そのためラッシュ時には松葉杖に気付かれることもなく、ただ普通に立っていました。バスの乗り降りはバリアフリーの車両だったので問題はなく、立ったままでも揺れで倒れてしまうようなこともありませんでした。乗客が少なくなってからは運転手さんが「席譲ってもらいますか?」と声をかけてくださり、安心して乗っていることができました。

不便から見えてくる“親切”のありがたさ

その他に不便だったことは、松葉杖を両手で使うと荷物が持てないことです。「書類1枚持って移動するのがこんなに大変か?」と思うほどでした。「松葉杖にポケットがあればいいのに」と思ってネットで調べてみると、介護用品で、取り付け式のポケットが付いている松葉杖もありました。

もう一つ、お昼ご飯でも困りました。お盆を取り、自分の好きなメニュー載せ、レジへ運ぶというスタイルの社員食堂は行くことができません。そもそもトレーをもつことができないのです。初日は、お昼ご飯を諦めました。飲み水もマイボトルが空になるとウォーターサーバーまで行くのが面倒で、お昼ご飯と同じく諦めました。

とはいえ、決して悪い話ばかりではありません。部屋から部屋へのドアの開け閉めや、エレベーターでの移動などでは、同じ社内でもこれまで会話したことがなかった方が手伝ってくださったり、声をかけてくださったり、本当に助かることが多かったのです。後日食堂の方とお話しする機会があったのですが、「料理なら席まで運んであげるから、いつでもおいで!」とありがたい言葉をいただきました。

まだまだ松葉杖生活は続きますが、今回の数週間の経験で分かったことは、「人に親切にする」ことで助かる人はたくさんいるということです。普段、多くの方が自分のできる範囲で行っている親切。例えば、困っている様子の人がいたら声をかけたり、手伝ったりする。そんな“何気ない親切”が、それを必要としている側の人間にとって、どれほどありがたいものなのかを改めて痛感しました。

「だれ一人取り残さない」というSDGsのメッセージ

入院している病院では看護師さんが食事を運んでくれ、歯磨きの用意もしてくれます。体も拭いてくれますし、売店が遠いのでお水も買ってきてくれます。その介助がなければ僕は生活できません。大袈裟かもしれませんが、病院ではSDGsの「だれ一人取り残さない」というメッセージが実行されていました。看護師さんこそSDGsの体現者だと感じました。

(皮肉にも、買ってきてくれるお水はペットボトルだし、手術後の点滴はビニール袋に入っています。プラスチックにも助けられて生活しています。地球のことを考えずにプラスチックを大量消費してはいけないけれど、決して「プラスチック=悪」というわけではないのです。そんなことも、この入院生活を通して改めて感じました。)

最後に、この入院期間中に障害者(※)に関係するSDGsについて調べてみました。17の目標のうち、主に次の8つが該当するようです。どのような点が当てはまるのか、皆さんも想像してみてください。

1.貧困をなくそう
3.すべての人に健康と福祉を
4.質の高い教育をみんなに
6.安全な水とトイレを世界中に
8.働きがいも経済成長も
10.人や国の不平等をなくそう
11.住み続けられるまちづくりを
17.パートナーシップで目標を達成しよう

※このコラムでは、「障害者」と表記します。その理由についてはぜひこちらのコラムをご覧ください。
» 『うらやましい』才能 障害福祉サービス事業所「PICFA(ピクファ)」【SDGs「障がい」と「障害」】

この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう