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「なごり雪」「海岸通り」伊勢正三作詞の名曲を現在形・過去形で読み解く

RKBラジオ『櫻井浩二インサイト』で月イチ恒例となっている企画「この歌詞が凄い」。水曜日のレギュラーコメンテーターで、かつて作詞家を志望していた、元サンデー毎日編集長・潟永秀一郎さんがヒット曲の歌詞を読み解きます。2月23日は前月に引き続き「雪」がテーマのあの名曲を取り上げました。  

「なごり雪」(作詞・伊勢正三、1974年)の舞台は九州の駅

まずは余談から。

 

ご存じの方も多いと思いますが、伊勢正三さんがこの歌を作るときイメージしたのは、東京の駅ではなく、故郷・大分の津久見駅だったと、ご本人が明かしています。だから「汽車を待つ」なんですね。東京だと電車だし、あまり待たなくても次々来ますから。伊勢さんは大分舞鶴高校から進学で上京して、高校の先輩の南こうせつさんに音楽活動に誘われ、佐賀生まれ福岡育ちの山田パンダさんと3人で結成したのが「かぐや姫」でした。津久見駅には「なごり雪」の記念碑が建ち、ホームでは発着メロディで流れるそうで、訪ねてみたいですね。

 

さて、本題です。この歌詞のどこがすごいか。ポイントは「現在形と過去形」です。国語で「文法は苦手だった」という方も多いと思いますが、大丈夫です。今日はそんな授業みたいな話ではなく、歌詞の最後が現在形か過去形かで、見える風景が変わりますよ、というイメージのお話です。
 汽車を待つ君の横で  ぼくは時計を気にしてる  季節はずれの雪が降ってる  「東京で見る雪はこれが最後ね」と  さみしそうに君がつぶやく
あまりにも有名な歌い出し。このコーナーで何度もお話していますが、心に残る歌というのは、映画のように情景が浮かぶ歌です。そして「なごり雪」は歌詞によって情景がこんなふうに変わります。

 

「気にしてる」も「降ってる」も「つぶやく」も、すべて現在形ですね。すると、そこから見えるのは、映画で言うと「アップ」の映像。彼が時計を気にしている姿も、彼女が寂しそうにつぶやく姿も、残されたわずかな時間の中で、何か伝えたくて言えない様子が、それぞれ表情まで浮かびます。ところが、続くサビの有名な歌詞になるとどうでしょう?
 今 春が来て 君はきれいになった  去年よりずっと きれいになった
過去形です。そこには、違う人生を選んだ彼女との距離が浮かびませんか。映像はひとりひとり別々のアップではなく、少し離れたところからの絵で、別れを選ばなければならなかった、二人の「心の距離」まで見えませんか。

 

それは2番の歌詞がもっと分かりやすくて、
 動き始めた  汽車の窓に 顔を付けて  君は何か 言おうとしている
――までは現在形。続く
 君の唇が「さようなら」と動くことが  こわくて下を向いてた
――は過去形です。本来、何か言おうとしている彼女に向き合っていますから、彼も「下を向いている」はずですが、「いた」です。でも、それによって、何か言おうとしている彼女の表情はアップで、うつむいて目をそらす彼の姿はロング、背中越しに彼女も映る映像になりませんか。それは最後、3番の歌詞もそうで、
 君が去った ホームに残り  落ちてはとける 雪を見ていた
――と、過去形になっていることで、まるで映画のラストシーンのように、残された彼の姿から、もう誰もいないホーム、汽車が走り去って行った線路へと、映像が広がります。

そうして、
 今 春が来て 君はきれいになった  去年よりずっと きれいになった
――というリフレインで、失った恋の痛みと、違う人生を歩くと決めた甘酸っぱい感傷が、いつまでも消えない青春の1シーンとして、聴き手の心にも刻み込まれるわけです。その意味で、最初から最後まで本当に完成度の高い名曲ですね。

「海岸通り」(作詞・伊勢正三、1975年)彼女の姿に想像に余地を残す

さて、ではもう1曲。こちらは、「なごり雪」の港バージョンとも言える、やはり伊勢正三さん作詞作曲の、別れの名曲です。

 

この歌は「なごり雪」の翌年、1975年リリースで、同じく去っていく恋人を見送る歌です。そしてこちらは、船はもう港を出た後。彼女がひとり残された場面から始まり、彼は登場しません。全編、彼女のモノローグ、一人語りです。ただ、やはり現在形と過去形が、うまく使い分けられています。例えば1番の歌詞は
 あなたが船を選んだのは  私への思いやりだったのでしょうか  別れのテープは切れるものだとなぜ  気づかなかったのでしょうか  港に沈む夕陽がとてもきれいですね  あなたを乗せた船が  小さくなっていく
――で、夕陽の中、彼を乗せた船が遠ざかる様子なんですが、現在形はアップの画像なので、ずっと彼女の視線で船を追い続ける絵が浮かぶわけです。一方、続く2番は
 夜明けの海が悲しいことを  あなたから教えられた
――とか、
 やさしい腕の中で  聞きたくはなかった
――とか、今度はすべて過去形で、つまりは回想、思い出を振り返るシーン。最後に
 まるで昨日と同じ海に波を残して  あなたを乗せた船が  小さくなっていく
――と繰り返して終わることで、この歌は港に立ち尽くす彼女の視線に戻って、描かれるのは最初から最後まで、彼女が見つめる港の風景だけです。あえて彼女の姿や表情を描かないことで、想像の余地が残り、余韻が残るんですね。

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