RKBドキュメンタリー映画祭 ペア招待「記者ありき ~六鼓・菊竹淳~」
RKBドキュメンタリー映画祭
受賞歴
放送文化基金賞 テレビドキュメンタリー番組賞
日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞 本賞
週刊テレビガイドテレビ大賞 優秀番組賞
日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞 本賞
週刊テレビガイドテレビ大賞 優秀番組賞
五・一五事件に際して、大手新聞社が軒並み軍部支持を掲げるなか、ファシズムを痛烈に批判し続けた福岡日日新聞社(現?西日本新聞社)の記者・菊竹淳(すなお)。筆名を六鼓。その人間性と思想に迫る番組は、「郷土の偉人紹介」といった枠には収まらない。
俳優・三國連太郎が菊竹を演じるのだが、木村の演出は再現ドラマと呼ぶにはあまりにもアヴァンギヤルドだ。はかま姿の菊竹が現代の街を歩き、新聞社を訪ねる。あげく、顔を白塗りした菊竹が苦悶し、のたうちまわる幻想シーンまでもが挿入される。
木村は見る者に、「もし、六鼓が現在生きていたら、彼を受け入れる新聞社があるだろうか?」と問いかける。それは、ジャーナリズムのあり方といったテーマを超えて、狂気にも似た“淳しゃん”の反骨、自由への情熱に魅かれていく木村と三國、二人の男たちのバディ・ムービーのメイキングのようでもある。木村は後に評伝「記者ありき――六皷・菊竹淳の生涯」を上梓している。
監督プロフィール
映画概要
受賞歴
放送文化基金賞 テレビドキュメンタリー番組賞
日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞 本賞
週刊テレビガイドテレビ大賞 優秀番組賞
日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞 本賞
週刊テレビガイドテレビ大賞 優秀番組賞
五・一五事件に際して、大手新聞社が軒並み軍部支持を掲げるなか、ファシズムを痛烈に批判し続けた福岡日日新聞社(現?西日本新聞社)の記者・菊竹淳(すなお)。筆名を六鼓。その人間性と思想に迫る番組は、「郷土の偉人紹介」といった枠には収まらない。
俳優・三國連太郎が菊竹を演じるのだが、木村の演出は再現ドラマと呼ぶにはあまりにもアヴァンギヤルドだ。はかま姿の菊竹が現代の街を歩き、新聞社を訪ねる。あげく、顔を白塗りした菊竹が苦悶し、のたうちまわる幻想シーンまでもが挿入される。
木村は見る者に、「もし、六鼓が現在生きていたら、彼を受け入れる新聞社があるだろうか?」と問いかける。それは、ジャーナリズムのあり方といったテーマを超えて、狂気にも似た“淳しゃん”の反骨、自由への情熱に魅かれていく木村と三國、二人の男たちのバディ・ムービーのメイキングのようでもある。木村は後に評伝「記者ありき――六皷・菊竹淳の生涯」を上梓している。
受賞歴
放送文化基金賞 テレビドキュメンタリー番組賞
日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞 本賞
週刊テレビガイドテレビ大賞 優秀番組賞
日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞 本賞
週刊テレビガイドテレビ大賞 優秀番組賞
五・一五事件に際して、大手新聞社が軒並み軍部支持を掲げるなか、ファシズムを痛烈に批判し続けた福岡日日新聞社(現?西日本新聞社)の記者・菊竹淳(すなお)。筆名を六鼓。その人間性と思想に迫る番組は、「郷土の偉人紹介」といった枠には収まらない。
俳優・三國連太郎が菊竹を演じるのだが、木村の演出は再現ドラマと呼ぶにはあまりにもアヴァンギヤルドだ。はかま姿の菊竹が現代の街を歩き、新聞社を訪ねる。あげく、顔を白塗りした菊竹が苦悶し、のたうちまわる幻想シーンまでもが挿入される。
木村は見る者に、「もし、六鼓が現在生きていたら、彼を受け入れる新聞社があるだろうか?」と問いかける。それは、ジャーナリズムのあり方といったテーマを超えて、狂気にも似た“淳しゃん”の反骨、自由への情熱に魅かれていく木村と三國、二人の男たちのバディ・ムービーのメイキングのようでもある。木村は後に評伝「記者ありき――六皷・菊竹淳の生涯」を上梓している。
監督プロフィール
監督プロフィール
伝説のドキュメンタリスト 木村栄文(1935~2011)
1935(昭和10)年、福岡市生まれ。1959年に西南学院大学商学部を卒業後、RKB毎日放送に入社。1966年にテレビ局テレビ演出部に異動し、ドキュメンタリー番組の制作活動を開始した。多彩なテーマと自由奔放な作風で、数多くのドキュメンタリー番組を制作。文化庁芸術祭賞、ギャラクシー賞、放送文化基金賞、日本民間放送連盟賞など、数多くのテレビ賞を受賞したことから「賞獲り男」と呼ばれた。
また『窓をあけて九州』や『電撃黒潮隊』のプロデューサーとしてJNN九州の後進を育成したほか、局の垣根を越えて「九州放送映像祭」を毎年開催するなど、地域の制作者たちにも広く影響を与えた。
1994年には、民放の制作者として初めてNHK衛星第2で『木村栄文の世界』と題した特集が組まれた。個人として、芸術選奨新人賞(1975)、放送文化基金賞(1988)、日本記者クラブ賞(1995)、紫綬褒章(2002)などを受賞。2003年にRKB毎日放送を退社。2006年には、NHK「ETV特集」で、「もういちどつくりたい ~木村栄文の世界」(渡辺考ディレクター)が放送される(2013年、番組と同名の評伝を渡辺が講談社から刊行した)。
2011年3月22日、心不全のため逝去(享年76)。翌2012年には、「公開講座 木村栄文レトロスペクティブ」と題して大規模な回顧上映が東京・大阪などで催された。
また『窓をあけて九州』や『電撃黒潮隊』のプロデューサーとしてJNN九州の後進を育成したほか、局の垣根を越えて「九州放送映像祭」を毎年開催するなど、地域の制作者たちにも広く影響を与えた。
1994年には、民放の制作者として初めてNHK衛星第2で『木村栄文の世界』と題した特集が組まれた。個人として、芸術選奨新人賞(1975)、放送文化基金賞(1988)、日本記者クラブ賞(1995)、紫綬褒章(2002)などを受賞。2003年にRKB毎日放送を退社。2006年には、NHK「ETV特集」で、「もういちどつくりたい ~木村栄文の世界」(渡辺考ディレクター)が放送される(2013年、番組と同名の評伝を渡辺が講談社から刊行した)。
2011年3月22日、心不全のため逝去(享年76)。翌2012年には、「公開講座 木村栄文レトロスペクティブ」と題して大規模な回顧上映が東京・大阪などで催された。
- 制作・時間
- 1977年、86分
- 構成
- 鳥山拡
- 撮影
- 相本卓郎
- 編集
- 粟村皓司
- 音声
- 藤木大二郎
- 朗読
- 江藤茂利
- 出演
- 三國連太郎
伝説のドキュメンタリスト 木村栄文(1935~2011)
1935(昭和10)年、福岡市生まれ。1959年に西南学院大学商学部を卒業後、RKB毎日放送に入社。1966年にテレビ局テレビ演出部に異動し、ドキュメンタリー番組の制作活動を開始した。多彩なテーマと自由奔放な作風で、数多くのドキュメンタリー番組を制作。文化庁芸術祭賞、ギャラクシー賞、放送文化基金賞、日本民間放送連盟賞など、数多くのテレビ賞を受賞したことから「賞獲り男」と呼ばれた。
また『窓をあけて九州』や『電撃黒潮隊』のプロデューサーとしてJNN九州の後進を育成したほか、局の垣根を越えて「九州放送映像祭」を毎年開催するなど、地域の制作者たちにも広く影響を与えた。
1994年には、民放の制作者として初めてNHK衛星第2で『木村栄文の世界』と題した特集が組まれた。個人として、芸術選奨新人賞(1975)、放送文化基金賞(1988)、日本記者クラブ賞(1995)、紫綬褒章(2002)などを受賞。2003年にRKB毎日放送を退社。2006年には、NHK「ETV特集」で、「もういちどつくりたい ~木村栄文の世界」(渡辺考ディレクター)が放送される(2013年、番組と同名の評伝を渡辺が講談社から刊行した)。
2011年3月22日、心不全のため逝去(享年76)。翌2012年には、「公開講座 木村栄文レトロスペクティブ」と題して大規模な回顧上映が東京・大阪などで催された。
また『窓をあけて九州』や『電撃黒潮隊』のプロデューサーとしてJNN九州の後進を育成したほか、局の垣根を越えて「九州放送映像祭」を毎年開催するなど、地域の制作者たちにも広く影響を与えた。
1994年には、民放の制作者として初めてNHK衛星第2で『木村栄文の世界』と題した特集が組まれた。個人として、芸術選奨新人賞(1975)、放送文化基金賞(1988)、日本記者クラブ賞(1995)、紫綬褒章(2002)などを受賞。2003年にRKB毎日放送を退社。2006年には、NHK「ETV特集」で、「もういちどつくりたい ~木村栄文の世界」(渡辺考ディレクター)が放送される(2013年、番組と同名の評伝を渡辺が講談社から刊行した)。
2011年3月22日、心不全のため逝去(享年76)。翌2012年には、「公開講座 木村栄文レトロスペクティブ」と題して大規模な回顧上映が東京・大阪などで催された。
制作年、制作スタッフ
制作年、制作スタッフ
- 制作・時間
- 1977年、86分
- 構成
- 鳥山拡
- 撮影
- 相本卓郎
- 編集
- 粟村皓司
- 音声
- 藤木大二郎
- 朗読
- 江藤茂利
- 出演
- 三國連太郎
- 制作・時間
- 1977年、86分
- 構成
- 鳥山拡
- 撮影
- 相本卓郎
- 編集
- 粟村皓司
- 音声
- 藤木大二郎
- 朗読
- 江藤茂利
- 出演
- 三國連太郎
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