出光グループの原油タンカー「日章丸」RKB記者同乗取材記~往復2万5000キロのオイルロードをいく!~【後編】

出光グループの原油タンカー「日章丸」RKB記者同乗取材記~往復2万5000キロのオイルロードをいく!~【後編】

出光興産の創業者 出光佐三氏をモデルにしたベストセラー小説「海賊とよばれた男」。映画のハイライトとして描かれるのが、1953年に世界を驚かせた「日章丸事件」です。輸入ルートを封じられるなか、戦勝国イギリスの圧力に屈することなく、秘密裏にイランから日本へと原油を運んだタンカー「日章丸」(当時は二代目)。現在は五代目となる「日章丸」にRKB記者が同乗。往復2万5000キロのオイルロードをいく船上の様子を、2013 年8月末から約1カ月半にわたり取材しました。

航海に伴う様々な危険

東京湾を出て15日目の2013年9月13日。スリランカのコロンボ沖を走行中の「日章丸」に、出光タンカー本社から「原油の積み地が決まった」と連絡が入りました。場所は、UAE(アラブ首長国連邦)のダス島と、カタール本土の沖合にあるハルル島です。
コロンボ沖からアラビア海へと入っていく海域は、海賊が出没するエリア。日章丸でもさまざまな海賊対策がとられていました。

「日章丸」の海賊対策

船体の上部に張り巡らされているのは鉄条網のようなワイヤー。船のバランスをとるバラスト水を放水して、海賊を甲板に上がらせないようにする訓練も日ごろから行われています。操舵室からの監視はもちろん、船のスピードにも注意が払われます。
「海賊の危険性が高いアラビア海とマラッカ海峡は、ほぼフルスピードで走り、それ以外の危険性が低い海域は、燃料消費を最小限に抑えるような航海計画を立てています」というのは松本悦男船長。速力を落とすと、航海日数が余分にかかるため、フルスピードと減速で走ったときのコスト差を最小限に抑える必要があるのです。

オマーン湾とペルシャ湾を結ぶホルムズ海峡は、「日章丸事件」の際、イギリスの軍艦に見つからないよう乗組員がひと際緊張したであろう海域です。そんなエリアで、スピードを出した不審な小型船が近づいてきました。幸い、海賊ではないようです。
乗組員によると、海賊の小型船は近くに停泊する大きな母船からやってくるといいます。海賊は昼間のうちに襲撃する船に目星をつけておき、明け方や夕暮れ時を狙い、小型のハイスピードボート数隻で後方を囲み、そこから攻撃してくるのだとか。当局の取り締まりもあり、アラビア海などアフリカ大陸のインド洋側で頻発していた海賊による強奪事件はここ数年減少傾向にあり、最近は大西洋側のギニア湾沖で多発しているそうです。

万一の事故に備えて

事故でどちらに傾いても対応できるよう、「日章丸」は船の左右それぞれにエンジン付きの救命艇を備えています。救命艇は乗組員26人よりずっと多い40人が乗り込める大きさ。座席にはシートベルト、海面に落ちたときのショックを和らげるためのクッションなどが取り付けられています。なかには救難食糧や救命水のほか、燃料用のオイルも積まれています。救命艇を海上に下ろす時間がないときのために使う救命いかだもあります。
船上では、服の上から着る「イマーションスーツ」と呼ばれる救命衣の講習会も行われました。イマーションスーツは浮力があり、着用すると海に落ちても沈まず、寒さを防ぐ効果もあるため、ライフジャケットよりも救命効果が高いのです。
また、密航者が日章丸船内に隠れていることを想定した捜索訓練も。制限時間内に、密航者に扮した乗組員1人を、全員で捜し出すというというものです。広く入り組んだ船内には、身を潜めやすい場所が多く、乗組員でも見逃してしまうことが多いのです。
松本船長は「事故・災害はシチュエーションを選んではくれません。どんな状態でも対応できるよう、定期的に訓練を続けていかなければならない」と語ります。

海賊対策
万一の事故に備えて

ついに目的地のペルシャ湾へ

東京湾を出て21日目の9月19日。「日章丸」は、UAE(アラブ首長連邦)のダス島の沖合に着きました。海上からも、原油採掘に伴って発生するガスを燃やす施設「フレア」から上がる炎が見えます。沖合まで伸びているパイプラインを通して、「日章丸」に原油が積み込まれます。
ただ、原油の積み出し設備は重要施設ということで、産油国側から原油を積み込む場面は撮影を制限されました。中東産油国はイスラム教徒が多いため、お酒などとともにカメラは一時、鍵付きの専用ロッカーに入れられます。
ここで丸1日かけて、原油100万バレル約13万5000トンを積み込んだ「日章丸」は、次の積み込み地であるカタールのハルル島へ。ダス島からハルル島までは50マイル(約90キロメートル)、時間にして5時間弱の距離です。このように、複数の場所で原油を積むことも多いといいます。
ハルル島沖合でタンクを満タンにした「日章丸」が積み込んだ原油は合計200万バレル約27万トン。これは、日本国内で消費される半日分の量に相当します。今回の原油は、主に一般的なガソリン、軽油、灯油、そして潤滑油のために使われます。
原油の価格は、産油国での積みだし時点で約200億円。日本とペルシャ湾の往復でかかる船の燃料費は約2億円に上ります。オイルロードを行き来するタンカーは日本経済の生命線なのです。その誇りとともに、「日章丸」は再び日本へと舵をとります。

世界を驚かせた「日章丸事件」

「日章丸事件」は、敗戦から8年後の1953年、戦勝国イギリスの圧力に屈することなく、出光興産の創業者、出光佐三氏(1881~1981)が唯一保有する巨大タンカー「日章丸」を秘密裏にイランへ送り、日本へ原油を運んだことで世界を驚かせた歴史的な出来事です。それは世界の原油を支配していた石油メジャーへの挑戦でもあっただけに、多くの日本人に敗戦の苦しみから立ち上がる力と勇気を与えました。さらに産油国と直接交渉した最初の例として、日本企業の中東進出の第一歩となるとともに、石油メジャーの市場独占を揺るがす契機になったともいわれています。
「困難な状況のなかでよくイランまで行き、原油を積んで帰ってきたと思います。座礁しかけたこともあったといいますから、船長や機関長の感じていた重圧は大変なものだったでしょう」と佐々木学機関長。
当時の「日章丸」新田辰男船長について松本船長はこう語ります。
「厳しい船長だったといわれていますが、きっと乗組員から慕われ、信頼されていたのでしょう。だからこそ、行き先がアバダンに変更になっても、乗組員は苦情ひとついわず、一致団結してアバダンへの入出港を乗り切れた。『国民のために』という意識が強かったのでしょうね」。

44日ぶりで東京湾に帰港

2013年8月30日に東京湾を出港した「日章丸」は、往復約2万5000キロ、約1か月半の航海を終えて、10月12日ふたたび東京湾に帰港しました。
原油を満杯にした日章丸の船底は今、水面下約20メートル。原油を積んだ「日章丸」は、6階建てのビルを抱えたような状態です。

日本に輸入される原油の8割以上をペルシャ湾沿いの産油国が占めています(2012年時点)。シェール革命など、エネルギーをめぐる環境は大きく変化し始めていますが、今も原油の重要性は変わりません。「日章丸」のような原油タンカーが日本経済を支えているのです。「日章丸」は今日もオイルロードをいきます。

ペルシャ湾での原油荷役
東京湾に44日ぶりに帰港

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