沖縄県名護市の辺野古沖で、修学旅行中の同志社国際高校の生徒らが乗った船が転覆し、女子生徒と船長が死亡した事故から約3か月が経ちました。この事故を巡っては、文部科学省がこの高校の平和学習に対して「政治的中立性を欠いている」として教育基本法に違反すると認定しましたが、このことが教育現場に大きな波紋を広げているようです。この問題について、6月5日放送のRKBラジオ『立川生志 金サイト』に出演した毎日新聞出版社長でジャーナリストの山本修司さんが、現場の教師らから聞いたさまざまな声も踏まえてコメントしました。
事故を機に危惧された「活動への圧力」
私は今年3月16日にこの事故の第一報を聞いたとき、すごく嫌な予感がしました。それは、沖縄の基地問題をはじめ、政府の方針に反対する活動に対して、またそうした活動について学ぶことに対して、この事故を機に圧力がかかるのではないかということでした。高校や船の側のずさんな安全管理という批判されても仕方がない問題と、基地移転への反対という賛否両論ある問題を一緒くたにして、活動そのものが問題だと位置づけられてしまうことを危惧したのです。
実際、政府の主張に近いメディアは、「ずさんな安全管理」と「政治的に偏った平和学習」という形でセットにして批判する報道を展開しています。そして、文部科学省が高校の平和学習について、政治的活動を禁じる教育基本法に違反するとして是正を指導しました。これは1947年に同法が施行されて以降初めてのことです。私の嫌な予感は想定以上のものになってしまったわけです。
辺野古の問題というのは、米軍普天間飛行場が市街地にあるため、その危険性を除去するために辺野古へ移設するというものです。普天間飛行場の危険性を除去するという点においては、争いはないのですが、辺野古への移設について、政府と沖縄県との間で対立しています。政府は危険性の除去と海兵隊の抑止力を両立させるためには、代替施設として県内の辺野古に建設する以外に選択肢はないという立場です。
一方で、沖縄県や県民は、県内の移設では沖縄の基地負担(国土面積のわずか約0.6%の沖縄に70%を超える基地が集中しています)は全く変わりませんし、埋め立てによって環境破壊にもつながるなどとして反対しています。ここでは詳しく触れませんが、この問題では国の安全保障や地方自治をめぐって、政府と沖縄県とが司法の場でも激しく争ってきた経緯もあります。
教育現場に広がる波紋と「主権者教育」の苦悩
私が最も心配しているのは、教育現場に明らかに影響が出ていることです。私は、新聞を教材として使うことで社会への関心を高め、読解力や情報を活用する能力を育てようという活動(NIE=Newspaper In Education=といいます)に関わっていたことがあるので、教員の知り合いが多いのですが、こうした人たちから辺野古の事故を受けて、さまざまな声が届いています。特に高校の教員は「主権者教育」に力を入れていますのでなおさらです。
「主権者教育」というのは、2018年に選挙権年齢が18歳に引き下げられたことを受けて、社会の仕組みや選挙制度といった知識だけでなく、地域の課題を「自分事」としてとらえて、その解決に向けて議論したり、模擬選挙を実施して選挙を経験したりするなど探求的な学びが求められており、文部科学省は推奨しています。
ただ、文部科学省は、特に政治的な事象を扱う際にその中立性に留意するよう求めていますので、教育現場では、授業の中で双方の主義主張を支持したり、逆に反対したり、そのような活動に参加することなく、公平で中立なものにするよう苦心しているということです。教育現場は大変なのですね。
ある教員は「政府や自治体側の主張は分かりやすいのですが、その反対の主張に関しては、なぜ反対しているのか、その背景にはどんな問題があるのかということを理解する必要があり、どうしても時間はかかるので、その割合が大きいから中立でないと判断されると困ります」と言います。
辺野古の事故では、文部科学省は、死亡した船長が移設工事への抗議活動をしていたことや、工事に反対する沖縄県の見解以外を事前学習で扱った形跡がないことなどを理由に「特定の見方・考え方に偏っていた」との見解を示しました。このことについては「沖縄ではまず、反対する人たちの声を聞き、その立場を理解することが目的で、政府側の見解はその後でも学習できる」「一つの授業内容だけで中立性を判断されても困るし、教育基本法違反にまで踏み込んで判断されるのは怖い」というような意見を多く聞きました。
放送法と教育基本法をつなぐ「萎縮」への危惧
こういった例は、ほかにもありました。選挙報道についてです。 昨年7月にあった参院選の期間中、TBSが放送した「報道特集」の内容に関して、参政党が「選挙報道として公平性・中立性を欠く」と抗議したことがありました。放送法4条に定める「政治的公平」を根拠にしたもので、2014年には自民党が衆院解散の直前に、NHKと在京の民放各社に選挙報道の公平中立などを求める要望書を出し、2015年の参院総務委員会では、当時の高市総務相(今の首相)が「一つの番組だけでも、極端な場合は、放送法4条にある政治的公平を確保しているとは認められない」という趣旨の答弁をしました。これは「放送事業者の番組全体を見て判断する」としてきた政府解釈を変更したものです。
私はこのとき、政府や政党に都合の悪い情報の発信は許さないという、けん制の意図を読み取ったのですが、今回の文部科学省にも同じような匂いを感じ取りました。また、こうした現場を萎縮させるような事例が今後増えていくのではないかと危惧しています。放送法の問題と教育基本法の問題はつながっているのです。
自らの主張を広く伝える手段も費用も持っている政府や政党が「まずはこちらの主張を理解しろ」と言わんばかりの姿勢には疑問を感じますし、本来は批判や反論を受ける側であるとの認識も明らかに欠けています。法律を盾にした措置に逆らうことは難しいのは事実ですが、萎縮してしまえば相手側の思うつぼです。
主権者教育の趣旨を踏まえて、政府側の主張も多様な意見の一つとして確認し、一方でそれとは違う意見については過去の経緯、歴史的な背景、政府とはどんな関係にあるのかなどをしっかり学ぶことは重要です。本当の意味での「バランス」を考えた教育が求められています。
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この記事を書いたひと

山本修司
1962年大分県別府市出身。86年に毎日新聞入社。東京本社社会部長・西部本社編集局長を経て、19年にはオリンピック・パラリンピック室長に就任。22年から西部本社代表、24年から毎日新聞出版・代表取締役社長。





















