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2回目も吉野ヶ里遺跡です。

吉野ヶ里の話を吉野ヶ里遺跡・調査指導委員会・委員長をつとめられ、佐賀城・本丸歴史館の館長でもいらっしゃる七田忠昭(しちだ・ただあき)さんに伺っています。
七田さんの話によれば中国の歴史書に登場する倭国王、帥升は吉野ヶ里のクニの王では、という興味ある話です。
後漢書には、倭面土王「帥升」が後漢の王に対し生口160人を献上し、謁見を願い出たとあります。
この倭の面土国を、七田さんはメト国と読み、メトは米多ではないかとみています。
これは、佐賀県上峰町米多であり、目達原に通じる、といいます。
又、古墳時代の行政区で筑紫米多国造が支配した「米多国」は面土国のことではないかともみていらっしゃいます。
さらに、卑弥呼が239年に魏に送った外交官のトップの名前「難升米」は、帥升の升の字と米を引き継いだ名前ではないか。といったいろんなことから推測すると帥升は吉野ヶ里の王であった可能性があるとみていらっしゃいます。

 

 

JR吉野ヶ里公園駅から徒歩5分ほどにある「薪窯ピッツァ フェリーチェ」には、吉野ヶ里遺跡を意識した楽しいデザートがあるんです。

「物見やぐらのタルト」、「卑弥呼の宮殿ミルフィーユ」、「卑弥呼の宝石」…。

代表の荒木克年さんのアイデアは最高!

 

 

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