「元気がないから兵隊に突かせる」処刑方法を決めたのは~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#31
BC級戦犯として横浜軍事法廷で裁かれた石垣島事件では、41人に死刑が宣告され、うち7人に絞首刑が執行された。死刑が執行されたあとに海軍少尉が書いた「石垣島事件の概要」。そこには事件当日、米軍機搭乗員の処刑の方法を決めるやり取りが記載されていたー。
命令によって準備が進む
副長井上大尉:「前島少尉は飛行士を現場に送る準備をしろ。当直将校○○少尉には、トラックの準備を命令している」
前島少尉:「○○少尉に命じてあれば、私は必要ないのでは」
副長井上大尉:「幕田大尉が1名、田口少尉が1名、榎本中尉が刺殺の模範指揮をするから前島少尉は現場まで搭乗員3名を送れ」
前島少尉:この命によって、先任衛兵伍長に命じ、トラックが来たら当直将校の命を受けて搭乗員3名を乗車させ、準備出来れば届けよと命じて士官室に行った
衛兵伍長:士官室に来て、「前島少尉、準備出来ました」と報告する
前島少尉:司令井上大佐に「準備出来ました」と報告する。なお、井上副長に「司令より送れと命ぜられました」と報告する
司令井上大佐:「送れ」と命じる
各士官は一斉に立ち上がり、士官室を出て現場に行く
現場到着時は「実施中」
搭乗員を現場に送る命令を受けた前島少尉は、処刑される搭乗員を乗せたトラックの運転台に乗って現場へ向かった。
処刑現場は、本部から500~600メートル離れた所で、前島少尉は、約40メートル手前で車を止めて下車し、現場を見に行った。井上副長から命令を受けた者が、総員現場に集合の号令を伝達していたので、各人が到着しているのかを見て確かめた上で、トラックに戻り、処刑される搭乗員1人を現場に連行させた。ところが、あと2人いるはずの搭乗員がトラックには1人しか乗っていなかった。本部に戻って調べると、1人は残したままだった。
自室で待っていると、20分後トラックが故障したと報告してきたので、別のトラックを準備して再び現場へ向かったが、三叉路を旋回するときに、前車輪が溝に落ちてしまったので、搭乗員1人を降ろして現場に連れていかせた。約10分、トラックを溝から揚げようと前進後進したがうまくいかず、トラックを置いて、現場に向かった。
前島少尉が現場に着いたときは、「榎本中尉の指揮により実施中なりしも、やがて終了す」とあるので、3人目のロイド兵曹を兵たちが刺突していて、それが終了するまで見ていたと推察される。前島少尉は「本部に帰りし時は、午後11時過ぎと推定す」としている。
この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう
この記事を書いたひと
大村由紀子
RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。