元工藤会系組幹部(50代)の告白 組員になるまでと離脱の決意、そして今
工藤会の「頂上作戦」から今年で10年、警察は捜査だけでなく「組からの離脱支援」も続けてきました。構成員の数がピーク時の5分の1となるなど工藤会の規模が年々縮小する中、組から離脱し一般社会で生活する男性は今、何を思うのでしょうか。
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運送会社で働くAさん
現在運送会社で大型トラックのドライバーとして働く50代のAさん。 正社員として勤務し、主に冷凍の食品や食材を全国各地に運んでいます。運転するトラックの手入れも欠かしません。
運送会社に勤めるAさん
「そのままにしておくと食材の臭いが強くなるし。どうしても霜が付くので3日に1回は洗車しています」
真面目に黙々と仕事をこなすAさんですが、かつて工藤会系の組幹部だった時期がありました。
運送会社に勤めるAさん
「五代目工藤会の2次団体ですね、そこの組頭を務めていました」
20代で工藤会の組員に きっかけは家族のトラブル
Aさんは30年ほど前、家族がトラブルに巻き込まれた際に幼なじみの組員に相談したことがきっかけで工藤会と関係を持つようになりました。
元工藤会系組幹部Aさん
「相談して解決はしてもらったが、それから組事務所に出入りするようになって気がついたらそこの組員になっていました」
「人もいないのでやってみないか」と誘われ、20代で勤めていた会社を辞めて暴力団の世界にあしをふみいれました。様々な理由をつけて一般の市民から資金を回収する日々を送ったといいます。
元工藤会系組幹部Aさん
「いろんな問題ごとを仲裁したときに礼金をいただいたり、あとは夜のみかじめ料ですね」
Aさんによると、みかじめ料の回収先は、いわゆる夜の飲食店だけに限らなかったといいます。
元工藤会系組幹部Aさん
「対象はキャバクラ、クラブ、ガールズバー、バー、あとはいろんな会社、車の整備工にしてもそう、惣菜屋とかありとあらゆる商売をしている人から。月平均すると70~80万円ぐらいはありました。その半分は組費として消えていきました。そういう生活がだいたい20年ぐらい続きました」
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