今では博多名物になっているとりかわの考案者である大名の「権兵衛館」など「権兵衛」グループのオーナー・古賀貞己さんが今年の4月12日に亡くなりました。94歳だったそうです。
鶏の首の皮を串にぐるぐる巻きにするということだけでも斬新でしたが、タレにつけて焼き、またタレについて焼くという工程を何日もかけて繰り返して、他の店の鶏皮とはまったく違うカリッモチッ食感で味がしっかり染み込んだとりかわを開発した功績はとてつもなく大きなものといえます。
私は元来焼鳥が大好きで、豚バラはもちろん大概のネタはおいしくいただいていましたが、ずっと皮だけは苦手でした。あのヌメッとした弾力と食感がどうも苦手で自分から注文することはまずありませんでしたが、この古賀さん発案のとりかわを食べてからたちまち虜になったのです。
私は新卒で地元のタウン情報誌を発行する会社に入ったのだが、それからほどなくして先輩に連れられていったのが、薬院六角の今「粋恭」がある場所にあった「権兵衛」でした。1980年代のことです。そこが大名の「権兵衛館」の支店ということも知りませんでしたが、大きなコの字カウンター(小上がりが1つか2つあった)、席の後ろはかなり狭くトイレに行くとき「すいません、すいません」と言いながら通る感じ、そして仙人のような白い髭がトレードマークの大将(古賀さんではない)の満面の笑顔がすごいインパクト。しかも、今のようにインバウンドや他県から福岡に遊びに来る人がさほどいなかった当時でさえ常に満席で、いつ行っても活気むんむんの焼鳥店でした。そうそう、焼鳥を食べてると満席なのにまたお客さんがやってきて(当時は大人数とかコース料理とかじゃない場合はけっこう飛び込みが当たり前)、満席だから断るのかと思いきや、大将が「ごめんね~、そことそこ、もうちょっと詰めてもらえんかな」と言い、こちらは内心「うそだろ~、もう無理だよ~」と思ったりしていたのですが、どこからか椅子が出てきて立ち飲みでもないのに体を少し斜めにしたりして食べていたことを思い出します。
席に着けば、3人なのに「かわ30ね」とこれまで私が知る焼鳥店では聞いたことがないオーダー。しかもまずかわを頼んでから、後の注文を考えるという不思議なシステム。会計をお願いすると人数分のスープが出てくること。会計をするときに大将が客の目の前で伝票を読み上げることなど、この店ならではのルーチンが楽しくてたまりませんでした。
その頃、この独特のとりかわを出していた店はここの系列以外にあったのでしょうか。
ほどなくしてとりかわで有名になったのは「かわ屋」だと思いますが、そこの店主はこの薬院の「権兵衛」の2番手だった方なので、おそらく他にはなかったんじゃないかと思います。
私はこの薬院の店にばかり行っていたので大名の「権兵衛館」で古賀さんが店に立っている姿はほとんど見ていないのですが、後に取材をした際、古賀さんにお会いし話をうかがいました。
古賀さんが焼鳥店を開業したのは1968年で場所は城南区の友泉亭でした。「権兵衛」はもちろん古賀さんの名前とは関係ありませんが、開業当初店名がなかなか決まらなかったところ「名なしのゴンベエ」と呼ばれ出してそこからこの店名を付けたそうです。
その頃、鶏の首の皮というのは廃棄されることが多かったらしく、安く仕入れられたそう。それを体の皮とは形が違うこともあり串にぐるぐると巻き付けるという発想、また何日もかけて焼き上げるという焼鳥の常識では考えられない焼き方。みなさん今でこそ普通に食べていますが、この独創性には驚かされます。
その後10年くらい経ったところで大名に移転したそうですが、当時の大名は今とは違ってまだまだ古い住宅ばかりの街でした。親不孝通りが元気だった頃で、大名や西通りはほんとにひっそりとしていて、私からすれば、よくその時代に大名に店を出したなと思うほどです。岩田屋でさえも、当時は渡辺通りの今のパルコの場所にあったので、とにかく今の若い人達には到底想像できないくらいひっそりとしていましたから。
しかしそんな場所にもかかわらずこの店は大人気となって、20年目を迎える頃は30店舗くらいを構えるほどの大チェーンになり、今も福岡でこそ「権兵衛」の名を冠した店は数軒ですが、関西や関東にはフランチャイズで何軒もの「とりかわ権兵衛」が看板を掲げています。
そして今、このスタイルのとりかわが福岡の名物になるほど、OBの店、あるいは真似た店が街のあちらこちらに出現し、福岡の名物として「博多とりかわ」とか「ぐるぐるとりかわ」といった表現で提供されていますし、ふるさと納税の返礼品にもなっています。
自分の店の名物メニューを作りたかったにすぎなかった古賀さん考案のとりかわが、旅行でやってきた外国人までもが列をなして食べたがるほどの博多名物になるとは思いもしなかったでしょうが、まさにその大きく羽ばたいていく過程を自身の目で見ることができたのは幸せなことだったと思います。
地元民が自信をもって勧められるような名物を、この地に生み育ててくれた古賀さんに心からお礼を言いたいと思います。
これからも天国で皆がとりかわを食べて笑顔になる姿を見続けてくださいね。
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