福岡市民にはなかなかイメージできないかもしれないが、北九州と山口(下関)との経済的・文化的な結び付き、一体感はかなり強い。本州と九州を結ぶ交通ルートは、戦時中の1942年に開通した鉄道トンネルをはじめ、国道トンネル、関門橋、新幹線トンネルなどがあり、国道トンネルにいたっては自動車だけでなく歩いても渡れるのだから、まさに隣町といった感覚だ。その間を横たわっているのが古代からの海上交通の要衝にして、"早鞆の瀬"とも呼ばれる関門海峡である。
子どもの頃から歴史好きだった僕にとって、源平合戦の壇ノ浦の戦いで源義経が軽やかに"八艘飛び"をやってのけ、巌流島の決闘では二刀流の武蔵が小次郎の燕返しを破った歴史の舞台。子ども向けの歴史読み物の挿絵を見るたびに憧れていたロマンの地には特別な思い入れがあり、まさにその場所を目前に眺めることができる得がたいロケーションにあるのが、日本料理店「いち凜」だ。
場所は小倉北区の高台にある高級住宅街・富野台に建つ一軒家。周辺にも何軒か民家を改装した飲食店があるが、店内からの眺望に加えて広々としたウッドデッキのテラスがあるのが最大のポイントだ。店主の北川俊輝さんは、山口県湯本温泉の割烹旅館を皮切りに数々の名店で腕を磨いた和食の料理人で、小倉随一の繁華街・鍛治町に「おもてなし北川」の屋号で独立開業。2019年に移転して屋号を改め、現在は女将の基子さんと二人で店を切り盛りしている。
料理は昼夜ともに完全予約制のコースのみで、今回は「お昼の天ぷらと蕎麦のコース」を予約した。先付は冷製の茶碗蒸しで、中身はイカに枝豆、オクラなどの夏野菜。よく冷えた卵生地の滑らかな食感が舌に心地よく、暑い最中にもスルスルと胃の腑に収まっていく。
名物の一つである蕎麦は、店主自ら汲み上げる天然水を使い、季節ごとに産地を厳選した蕎麦粉を使って毎日手打ちしている。天然塩かキリッと出汁の効いたツユにたっぷりの薬味を添えてツルツルッといけば、さらに食欲が湧いてくるから不思議なものだ。
コース中盤の目玉ともいえる天ぷらはその日に仕入れた山海の素材を使い、客室内に設置した銅製の天ぷら鍋を使って目の前で揚げるパフォーマンスも。この日はエビ、キス、イカ、ホタテなどの魚介類に、ナス、オクラ、トウモロコシなどの夏野菜がズラリ。胡麻油と米油をブレンドした油で、カラッと揚げたてを食べることができる。
さらに続くのが、これまた名物の「天茶」である。出汁茶漬けの上に、新ショウガ、エビ、三ツ葉のかき揚げをジュワッとのせれば、これまたサラサラといけてしまう。
メインの肉料理は、牛しゃぶと焼き茄子を出汁に浸したさっぱりとした味付けで。一品一品は軽めのポーションながらもバランスが良く、この後に続くデザートも含めて満足感の高いコース構成に感服。そして、何より季節感を大切にした食材のセレクトと調理法に、店主・北川さんの力量を感じる料理だった。
現在、"第二関門橋"と呼ばれる「下関北九州道路」の整備が進められており、計画が実現すれば、およそ10年後には目の前に新しい橋が建設されることになる。日々刻々と表情を変える関門海峡の風景とともに、今後も末永く在り続けてほしい名店である。
この記事はいかがでしたか?
リアクションで支援しよう














