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ひろゆき氏ツイートに思う「#沖縄の皆さんに本土からごめんなさい」

沖縄の基地反対行動に関するひろゆき氏のツイートが議論となっている。RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』のコメンテーターを務めるRKB報道局の神戸金史解説委員は「同じ“本土生まれ”として、申し訳ない気になった」という。11日放送の番組で運動論と、歴史の面から思うところを語り、「ごめんなさい」と繰り返した。

#沖縄の皆さんに本土からごめんなさい

座り込み抗議 誰もいない?

沖縄・辺野古の座り込みが長く続いています。現地には「新基地断念まで座り込み抗議 3011日」という看板があります。数字だけ毎日張り替えていくんですけど「2ちゃんねる」の創設者で多くのメディアに出演しているひろゆき(西村博之)氏がそこに行って、ピースサインをしながら笑っている写真を投稿しました。そこに書いてあった文章は――。
座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?
(10月3日午後6時)
「いないんだから、続いてないじゃないか」ということなんでしょうけども、28万5099件の「いいね」がついていました。これに対して、すぐにこんなツイートが寄せられています。
沖大学生自治会(@okidaijichikai) 辺野古の座り込み行動は、工事のための車両が来る9時、12時、15時に合わせて行われます。なので、次の日も座り込みをするために、夕暮れごろには誰もいないということはよくあります。辺野古のことを真面目に考え、報道する姿勢がある人なら、こんな無責任な発言はできません。
(3日午後7時4分)
さすがのひろゆき氏、すぐにこれを引用リツイートしました。
「9時、12時、15時しか居ません」と書いてくれないと、わからないですよ。誤解する人が増えないように、書き足しておいて貰ってもいいですか?
(4日午前0時50分)
続いてのツイートには――。
『座り込み』
その場に座り込んで動かないこと。目的をとげるために座って動かない。知らない間に辞書の意味変わりました?
(4日午前11時2分)
なかなか不毛な話になってきている、と思って見ていました。

 

「痛みを伴わず平和だけを享受する人」

これに怒ってメッセージを発信している沖縄の方もいます。Facebookで見かけた文章を、プリントしてスタジオに持ってきました。
地上戦で県民の4分の1が犠牲になり(うちの祖父は家族8人亡くし、生き残ったのは3人だけ)、
数年前にうるま市で女性が米軍属に惨殺され、スーツケースにつめられて遺棄される(うちの子だって犠牲になるかもしれない)。
母校の大学にはバス並みの大きさのヘリが墜落する。

そんな恐怖が何十年も続いていて、何十年に渡り声を上げ続けてきて、それでも一向に声を聴こうとしない「痛みを伴わず平和だけを享受する人」が、「痛いって言ってもそんなんじゃ通じないよ。もっと痛いことが多くの人に伝わるようにしなきゃ」って。まるで「痛い」と言ってる人が悪いかの言説。

いつまで、どのくらいの声で、誰に「痛い」といえばこの痛みはきいてもらえるのか、どうしたら聞く耳持って、基地持ってってくれるんでしょうか…。(中略)ここ何日か本当に気持ちが重く辛いです。
私は群馬県の生まれで、福岡に住んでいる、本土の人間です。私は「沖縄の皆さんに本土からごめんなさい」と伝えたいと思いました。いろいろな感情が沖縄にはあって、基地に「反対」「賛成」はきれいに切れるわけではないし、経済情勢がなかなか厳しくなってきた時には、基地反対を言うよりも経済を大事にしなきゃ、と思う場合だってあるわけです。

でもそれで「基地に賛成か」と言われたら、賛成でない人もかなりもちろんいらっしゃる。「基地よりも経済」と言う候補に投票したとしても、その人が基地に反対していないわけではないでしょう。全国の基地面積の7割以上が沖縄に集中しているわけですから、反基地の感覚は非常に強いですよね。そういう中で、難しい選挙を迫られたり、投票を迫られたりしてきた人たちのことを考えると、「申し訳ないな」という感じがしています。

「少数派」でも反対の声を上げる論理

「これをすれば勝てる」とか、「もうかる」とか、「新しい市場が作れるんだ」とか、そういう価値観とは正反対にある気がするので、議論をしたところで成り立ってないなという感じもします。
1995年に起きた「沖縄米兵少女暴行事件」の被害者は、当時12歳の小学生でした。集団強姦をされて、大変基地に対する反発が強まった事件ですが、時代は冷酷に進んでいきます。「そんなこと知らねえよ」という若い世代がどんどん多数派になってきているから響かない面もあると思うんです。それでも、「大事な言葉」はやはりあると思います。こういった人たちの気持ちを大事にしていきたいと思います。
今回は、本土の人間が「無神経」な発言をしたんだろうと思っています。言った人の気持ちも分からなくはないし、若い人たちも賛同して、28万人が「いいね」を押してしまうことも分からなくはない。でもその「いいね」がどれほど沖縄の人たちの心に傷を負わせているか。そういった配慮は何もないんだな、というのが私の印象です。

若い世代に過去の沖縄戦のことはなかなか通じないな、と思うこともあるし、少女暴行事件の記憶がない人たちに言っても、昔話にしか聞こえないかもしれませんね。語り継いでいくのは難しい。活動しているのも、年配の方が多くなっています。
10月8日に、大分県中津市の梶原徳三郎さん(84歳)とお会いしてきました。大分にある米軍基地の反対運動とか反原発運動とかに参加している方で「若い人に引き継ぐのは無理かな」とおっしゃっていました。しかし「なぜ、それでも座り込みをするのですか?」という質問に対して、こう答えました。
梶原:権力を持つ者がいろいろなことをやる。それに対して「それは間違っている」「そんなことはしてはいけない」と思えることには、ちゃんと「反対だ」という声をあげましょう。反対の声をあげない人は、おのずから賛成したことにされてしまう。「反対だ」と声を出し態度で示した人だけが、反対の人だとカウントされる。それ以外の人は全部賛成したんだ、と数えられる。
神戸:誰かが言わなければ、反対した人がいたことにならないわけですね?
梶原:そうなんですね。実際に、政府がやろうとしていることについて、反対の行動を取ったり声をあげたりする人は、常に全体の中ではやっぱり一部です。黙っている人と反対の声を上げてるのと、どっちが多いかと言えば、黙ってる人の方が多いわけですから。「声なき人の声を聴く」とすれば、どんな悪いことでも政治はやれる。とてもずるいやり方だと思いますけど、ずっとそれで来ていますよね。
梶原さんは「声を上げていないと、全員賛成だとカウントされてしまうんだ」と言っています。だから「こんな少人数で座り込みをして何の意味があるのか」と言われても、みんなの代わりに来て「反対している人がいる」ということは示しておく必要があるんです。梶原さんたちがいなくなった後、示せなくなったらどうするのか? ということは気になっているようでしたが。

沖縄に関しても、同じことが言えると思います。できる範囲で、トラックが来るところに合わせて座り込みをするというのも、年配の人が多いというのも、仕方のないことです。そこを揶揄するのは無神経だろう、と思うんですね。「本土そのもの」からの意見と言ってもいいかもしれません。本当に「沖縄の皆さんに本土からごめんなさい」と言いたいんです。

歴史の面からも「ごめんなさい」

沖縄に関しては、本土に生まれた者として、個人的に謝りたいことがいっぱいあるんです。

【現代】

・東村高江の牧草地に、アメリカ海兵隊の大型輸送ヘリが不時着・炎上した事故(2017年10月11日)から、きょうでちょうどで5年。それに昨日気づいたんです。すっかり忘れていて、ごめんなさい。
・ヘリパッド建設現場に通じるゲートで、フェンスを挟んで工事に抗議していた反対派の人たちに向かって、警備の応援に来た機動隊員が「土人が」とか「黙れ、こら、シナ人」とか、ひどい言葉を言ってしまってごめんなさい。
・1995年に集団強姦されてしまった12歳の少女。今はどうしているのでしょうか。気になっています。本当にごめんなさい。
・日本各地の基地を撤去させたけど、実は米軍占領下の沖縄に移されただけでした。福岡からも、そう。自分たちの目の前から基地がなくなったことだけで喜んでいて、ごめんなさい。
・沖縄に基地を押し付けたくせに、本土に基地を引き取ることもせず、ごめんなさい。

【沖縄戦】

・沖縄戦の不発弾が、まだいっぱい埋まったままになっていますね。糸満市の土木工事中にショベルの先端が不発弾に当たって爆発に巻き込まれた作業員の方、ごめんなさい。
・沖縄は、本土決戦の前に、時間稼ぎするための「捨て石」と位置付けられました。沖縄守備軍が住民ごと南部に避難したことで、多くの民間人を戦闘に巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。
・北部の伊江島では100人を超す人が集団自決に追いやられました。降伏するくらいなら死ぬべきだという、軍の指導・命令があったからです。親に手をかけられた子供たち、悲しかったね。痛かったね。母親の命を奪った息子たち。つらかったね。本当にごめんなさい。

【琉球王国】

・もっとさかのぼって言えば、明治政府の廃藩置県は明治4年(1871年)でしたが、その4年後になって、明治政府は琉球王国(琉球藩)を「沖縄県」としました(1875年)。本土では、これを長く「琉球処分」と呼んでいました。王の逮捕権まで織り込んでいた、武力による併合です。「琉球処分」という言い方自体が、無礼極まりない。本当にごめんなさい。
・にも関わらず1880年に、当時の中国(清国)に対して、明治政府は宮古・八重山諸島を譲り渡す案を出しているんです。中国大陸で欧米並みの商売ができることと、引き換えでした(「分島・増約案」と言います)。本土の商売のために、沖縄県の西半分、宮古・八重山諸島を中国に売ろうとしたのです。本当にごめんなさい。
・さらにさらにさかのぼれば、江戸時代初め(1609年)には、薩摩が琉球王国に攻め込んで、長い間支配下に置きました。搾取をずっと続けてしまって、本当に「沖縄のみなさんに本土からごめんなさい」と言いたいです。

沖縄の高校生が学んだ『琉球・沖縄史』

長い歴史がずっとこうやって続いてきました。このことを、私は歴史学を学んできたので考えるんです。沖縄米兵少女暴行事件(1995年)の後に、こんな本を買いました。高校の副読本です。
沖縄歴史教育研究会 新城俊昭著『高等学校 琉球・沖縄史』
編集工房東洋企画・1997年刊

(神戸・註)放送では、新城(あらしろ)俊昭さんを「しんしろ」と言ってしまいました。大変すみません。
沖縄から見る、日本本土の歴史。豊臣秀吉、島津斉彬……、沖縄に対してどういう態度でいたか、が出てきます。日本史を裏から見るとこんな風に見えるんだ、とよくわかります。琉球・沖縄について考えることは、日本本土を考えることにもつながるし、沖縄にかけられた負担とか、長い間の搾取とか、自分の身に置き換えて考えられるようになるのではないでしょうか。本当にいい本で、知らなかったことがいっぱい書いてありました。

1冊の歴史副読本で、明治以降だけで半分以上を占めているのは「琉球処分」(沖縄併合)以降の苦難の道があったと思うんです。もちろん、琉球王国時代には封建制度のマイナス点がいっぱいあったので、明治維新と同じように、どこかで崩れなければいけなかったかもしれません、しかし、やはり「沖縄の皆さんに本土からごめんなさい」という気持ちが強くあります。

諦めという名の鎖をよじってほどく

歴史上失礼なことを重ねてきてしまった私たち。この歌を聞いてもらおうと思います。私は、沖縄の運動に携わっている方のことを、こんな風に思っています。
ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ

あたし男だったらよかったわ
力ずくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ
あたし男に生まれればよかったわ

ああ 小魚たちの群れきらきらと
海の中の国境を越えていく
諦めという名の鎖を
身をよじってほどいていく

ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ
(中島みゆき「ファイト!」より)
「男に生まれればよかったわ」は、「本土に生まれればよかったわ」と読み替えることもできそうです。強い者の側にいることは、特権であり、楽である。そういった立場にいる人は、いろいろなことを慮らなければいけません。
自民党の政治家にはかつて、沖縄の歴史を知り、沖縄の立場をわかって寄り添う方がたくさんいました。野中広務さんとか、小渕恵三元首相とか。悩みながらも、沖縄に寄り添っていました。こういった人たちが、いなくなってしまいました。やはり改めて「沖縄の皆さんに本土からごめんなさい」。私は本当にそう思っています。

#沖縄の皆さんに本土からごめんなさい

 

神戸金史(かんべかねぶみ) 1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。

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