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九州人のソウルフード「マルタイラーメン」は愛されて63年!

九州人のソウルフード「マルタイラーメン」は愛されて63年!

福岡県民をはじめとして“棒ラーメン”の愛称で親しまれる「マルタイラーメン」。作っているのは、福岡市に本社を構える「マルタイ」だ。年間売り上げは93億円を誇り、2022年には佐賀県唐津市に新工場も新設した。“即席棒状麺のパイオニア”マルタイが愛され続ける理由とは?

愛され続けて63年!驚きの商品開発の歴史

棒状即席?のパイオニアである「マルタイ棒ラーメン」。
63年前に発売されたきっかけは、当時福岡市内で製麺所を経営していた。創業者 藤田泰一郎氏の「食堂でたべるラーメンを家庭でも味わってもらいたい」という思いだった。それ以来ロングセラー商品となった「マルタイ棒ラーメン」は、今も食卓を彩ってくれる。

マルタイ63年の歴史の中で、開発された商品は約600種類。現在も60種類のラインナップをそろえる。マルタイ社としては、棒ラーメン以外にも様々な商品にチャレンジしては、生き残った商品と廃盤になった商品が存在するのである。絶え間ない企業努力で、競争に打ち勝って来た。

ところで、多くの方が勘違いをしていることがある。それは、マルタイラーメンの味・・・。多くの方が、「とんこつ味」だと思っているようだが、正確には「しょうゆ味」である。

できあがったときの色と福岡の企業イメージがそうさせるのかもしれない。

番組ではコメンテーターも見事に外してしまった。
いずれにせよ、人々の生活に馴染んでいるソウルフードである。

マルタイは、今年3月新工場を稼働させた。効率を重視した新機能で、さらに国内外に打って出る。福岡発の企業がつくる商品が、いつしか全世界の消費者にとって、味わい深い存在になることを願う。
まずは商品開発の歴史がすごい。工場の通路には、これまで発売された商品のパッケージがずらり!100メートルほども続く。63年間で開発した商品はおよそ600種類で、その元祖がご存じ「マルタイラーメン」だ。
初期の商品ラインナップには、そば、そうめん、焼きそば、スパゲティ、味噌汁、シチュー、赤飯、果ては水ようかんまで…!健康食品を出していた時代もあるというから驚きだ。現在はおよそ60種類の商品を販売している。

起死回生の新商品とは!?


1971年(昭和46年)、お湯を注ぐだけで食べられる“カップ麺”が他社から登場すると、業界内の競争が激化。マルタイも一時業績が悪化した。苦戦する日々が数年続き、低迷した時期もあった。

2000年代、ロングセラー商品“棒ラーメン”の復権を掲げ、“高級棒ラーメン”との2種類のラインナップで展開を開始。中でも地域の味に特化した「九州シリーズ」はヒットし、定番商品となった。
棒ラーメンシリーズの売り上げは、2010年が18億7700万円だったのに対し、2020年は31億2900万円と、10年間でおよそ1.7倍も伸ばすことに成功した。

またコロナ禍での巣ごもり需要もあり、その後の売り上げも伸びている。同じく需要が高まったアウトドアシーンでも、手軽で長期保存のきく棒ラーメン商品は人気だ。

マルタイラーメン誕生秘話

マルタイの歴史は、昭和22年、創業者の藤田泰一郎が福岡市で製麺業に乗り出したことから始まった。食糧難で誰もが空腹だった時代、“食堂で食べるラーメンの味を家庭で手軽に”との思いから、生麺のおいしさを追求し3年、ノンフライ・ノンスチームで乾燥させたまっすぐな麺を開発。
昭和34年、即席棒状麺としては日本初とされる「マルタイラーメン」が誕生した。

キャラクター&グッズ新戦略!さらに…

新たなブランディング戦略にも力を入れている。
マルタイ初の公式キャラクター「マルタイファミリー」が2021年に誕生。LINEスタンプもかわいいと好評だ。

“即席棒状麺のパイオニア”マルタイ

他にも、他社とコラボしたグッズも人気だ。イオンとのコラボTシャツ、ロフトとタイアップした文具や雑貨などを展開している。
さらに変わり種として、PayPayドームでもコラボしているものがある。なんと“ファウルポール”のネーミングライツ契約を結び、2022年シーズンから「マルタイ棒ラーメンポール」と名付けられている。

“即席棒状麺のパイオニア”マルタイ

2022年3月に完成した佐賀工場では、1日に20万食を生産。これまで従業員が行っていた温度や麺の乾燥時間の管理をデータ化、包装や箱詰めの作業も自動化して効率化を進めた。
一方で、コロナ禍による物流費・人件費の上昇、ウクライナ情勢に伴う小麦・原油価格の高騰が懸念される中、一部の商品は2022年、値上げすることとなった。

“即席棒状?のパイオニア”マルタイ。
先の見通せない時代にあっても、見藤史朗社長は「よりおいしいラーメンが、日本全国はもとより、世界のみなさんに食べていただける日を願っております」と温かく語ってくれた。

(文:軽部 明香里)

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