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戦世ぬ哀り~サイパン・太平洋の防波堤~

2020年第10回
制作:RBC琉球放送
ディレクター:伊良波美海子

西太平洋に点在する 600 を超える島々。現在の「ミクロネシア」の島々を、日本は「南洋群島」と呼び、太平洋戦争で敗れるまでのおよそ25年余り、委任統治していた。そのうちの1つがサイパンで、事実上の領土にするため、多くの移民を送り込んだ。その足掛かりとして設立された「南洋興発」は、海軍の後ろ盾を得て発展。製糖業のほか、水産業など南洋各地で事業を展開し、〝北の「満鉄」南の「興発」〟と言わしめた。会社は暑さと労働に耐えうる移民として沖縄出身者を求め、貧困にあえぐ沖縄側の利害も一致し、多くの県民が移住した。
サイパンだけでも 2 万 7000 人余りが暮らしていて、 そのおよそ 7 割を県出身者が占めるほどだった。(1942 年時点)
「南洋の暮らしはとても楽しかった」と永山幸栄さん(92)は懐かしむ。
父が南洋興発で働いていた永山さんは、サイパンで生まれ育ち、家族8人で穏やかな暮らしを送っていた。しかし、島での暮らしに暗雲が立ち込める。 太平洋戦争が勃発し、日本の敗色が濃くなった 1944 年、政府は「南洋群島戦時非常措置要綱」を閣議決定。この中には、「南洋群島在住民の総力を結集して直接戦力化し、軍と一体となりて皇土前線の防衛にあたらしむ」など、住民を戦力と捉える文言が並ぶ。米軍上陸後、閣議決定の内容に沿うかのように、住民は戦闘に巻き込まれ、日本本土を守る防波堤として多くの命が失われた。証言と史料を基に、島の歴史とサイパン戦の実相に迫る。

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