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RKBドキュメンタリー映画祭 ペア招待「アキノ白昼の暗殺 特別編 ~この報道が歴史を動かした~」

RKBドキュメンタリー映画祭

RKB毎日放送は、創立70周年を記念して、3月24日から4日間にわたり、TBSテレビと共同で、計25作品のテレビドキュメンタリーを西南学院大学で無料上映します。キー局のTBSテレビが、系列ローカル局と合同で映画祭を開催するのは初めてのことです。一部の作品は上映後1週間、オンライン配信〔有料〕で視聴可能です。
アキノ白昼の暗殺 特別編 ~この報道が歴史を動かした~
上映日:3月24日(木) 17:30
 

映画概要

市村元(いちむら・はじめ) 1942年神戸市生まれ。1965年TBS入社。社会部、パリ支局長、「ニュース23」担当部長、編集センター長、報道局専任局長、解説室長などを歴任。
この間、「報道特集」には1980年の番組開始前、準備段階から関わり、ディレクター、プロデューサー、特別報道センター長など、さまざまな立場で担ってきた。
2002年テレビユー福島常務取締役、2009年から「地方の時代」映像祭プロデューサー兼関西大学客員教授。

制作年、制作スタッフ

1983年8月、マルコス政権下のフィリピン。独裁体制を脅かす野党勢力のリーダーだったベニグノ・アキノ氏は、亡命先のアメリカから帰国し、マニラ国際空港に到着した途端、兵士に機外に連れ出され、何者かに射殺された。
「犯人」とされた男もその場で射殺されている。滑走路に横たわる二つの遺体。体制側の犯行であることは明らかだったが、同行記者は機体出口前で足止めされて、射たれた瞬間の目撃者はいない。真相が闇に葬りかけられたとき、待ったをかけたのが、この報道特集「アキノ白昼の暗殺」である。

アキノ氏に同行した数少ないメディアであるTBSのカメラは、機外に連れ去られていくまでの流れと、その後の銃声を克明に記録していた。事件1週間後に放送されたこの番組では、秒刻みでその詳細な検証を行い、政府発表の矛盾点を一つ一つ解き明かして、真犯人像に迫っていく。
そして番組終盤に紹介された、アキノ氏が母国に向かう前夜、TBS記者に語ったインタビュー。「とても危険がある。空港に着いたらあっというまに終わるかもしれない。防弾
チョッキを用意しているが頭を狙われたらどうしようもない。カメラをすぐ回せるよう
準備しておいてほしい」。運命を予感しながら、なお強い使命感で、帰国を目指す決意を、穏やかな表情で語っていた。

放送後の反応はすさまじく、フィリピンでは海賊版まで出回り、政府発表に対する批判が強まり、独裁体制を覆すピープルパワー革命に至る流れの大きなきっかけとなった。
1984年度、日本新聞協会賞、受賞作。「報道特集」40年、2千本を越す企画のなかでも金字塔とされる作品である。今回その全編を上映する。
故・料治直矢キャスターが、武骨な雰囲気をぷんぷんさせながら、現場をたずね歩く姿から今なお熱が伝わる。

それにしても、なぜアキノ氏の秘かな帰国にTBSが同行できたのだろうか。そこには「報道特集」初代キャスター北代淳二氏が、亡命中のアキノ氏と培ってきた友情と信頼関係があった。
2021年/ステレオ/80分 ?TBSテレビ

制作デスクプロフィール

市村元(いちむら・はじめ) 1942年神戸市生まれ。1965年TBS入社。社会部、パリ支局長、「ニュース23」担当部長、編集センター長、報道局専任局長、解説室長などを歴任。
この間、「報道特集」には1980年の番組開始前、準備段階から関わり、ディレクター、プロデューサー、特別報道センター長など、さまざまな立場で担ってきた。
2002年テレビユー福島常務取締役、2009年から「地方の時代」映像祭プロデューサー兼関西大学客員教授。
取材
料治直矢 田近東吾 北代淳二 ほか
プロデューサー
三好和昭
出演
料治直矢
撮影
横井義雄ほか

制作年、制作スタッフ

2021年/ステレオ/80分 ?TBSテレビ
取材
料治直矢 田近東吾 北代淳二 ほか
プロデューサー
三好和昭
出演
料治直矢
撮影
横井義雄ほか

制作者からのメッセージ

〝TBSドキュメンタリー映画祭〟の上映作品に、報道特集「アキノ白昼の暗殺」が名を連ねたことをうれしく思うと同時に多少の〝戸惑い〟も覚えています。何故なら「報道特集」がスタートした1980年、制作チームが打ちだした番組コンセプトには「賞は目指さない。番組はいわゆるドキュメンタリーとは一線を画す」と謳われているからです。

「報道特集」スタートの前年、第1回JNNニュース訪米研修団として私たちはCBS本社を訪問しました。目的は硬派の報道番組でありながら毎週の全米視聴率ベストテンの上位をキープし続ける「60ミニッツ」を学ぶこと。
同番組のプロデューサー、オガネソフ氏は私たちにこう話しました。「60ミニッツはマガジンスタイルで、取り上げるテーマの3分の2は軽い話題です。ただ、この番組を特徴づけているのは、独自に出来事を深堀りするInvestigative Report! 視聴者はそこに期待しています」そして実例として、フォードの小型車の欠陥を独自の実験や検証で追及した事例、あるいは警察官が不正な現金を受け取る現場を隠し撮りした報告などを見せてくれました。Investigative Report 当時、訳語はありませんでしたが、今でいう〝調査報道〟です。その言葉に私たちは強い印象を受けました。

1980年10月、「報道特集」は「Investigative Report(調査報道)に取り組む!」を最大の謳い文句にスタートしました。半年間討議を重ねた制作チームが打ち出した番組コンセプトには、「タブーに挑戦する。取材に聖域は作らない」「賞は目指さない」「ニュースでもドキュメンタリーでもない、新しい表現に挑戦する」「あらゆる飾りを排し、生の素材で勝負する」「事件の当事者に迫る。評論家やコメンテーターは呼ばない」などがありました。キャスターは、4人全てが男性の現役記者。お世辞にもイケメンとは言えない〝いかつい〟おじさんばかりでした。スタジオは白黒のモノトーンに統一され、音楽の使用も禁じられました。

一言でいえば〝無骨〟で〝荒削り〟を売り物にした番組でしたが〝渦中の人物をカメラの前に〟という取り組みは一定の評価を受け、ロッキード事件で田中角栄氏に不利な証言をした〝ハチの一刺し〟の榎本三恵子さん、〝ロス疑惑〟の三浦和義氏らが「報道特集ならインタビューに応じてもいい」と取材対象の側から番組を選んでくれました。

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