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戦争中“任地”で起きたことは話さなかった「兵隊に行きたくないとは言われん」藤中松雄の100歳の“同期”~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#5

28歳の若さで命を絶たれたBC級戦犯・藤中松雄(1921-1950)には、一緒に出征した同じ村の男性がいた。盛大に見送られた3人。“同期”は100歳になり「兵隊には行きたくなかった」と本音を明かした。それでも海兵団に入団後の新兵訓練中は、消灯前に3人で話をするのが楽しみだった。快活な性格で、美しい妻を愛したという松雄。男性は「帰ってきても戦争の話は互いにせんやった」と語る。それぞれの任地で何が起き、松雄がなぜ戦犯に問われたのか。人となりが浮かび上がってきた―。

“リーダー的な存在”の松雄を含む3人が一緒に召集された

水兵姿の坂本弘之さん

 

その男性は、坂本弘之さん100歳(2021年当時)。藤中松雄の遺書を所蔵している嘉麻市碓井平和祈念館の学芸員、青山英子さんから松雄と同い年の男性がご存命で市内にいらっしゃることを教えてもらった。青山さんと一緒にご自宅を訪ねると、玄関に出てきて出迎えてくださった。庭に手作りの資料館があり、戦争と炭鉱、農作業の道具や写真などが集められて展示されていた。近くの小学校から、授業の一環として子供たちが訪れることもあったという。案内してくださった坂本さんは、足腰もしっかりしていて普通に歩き、100歳には見えないくらいお元気だった。少し耳は遠いものの、はきはきとお話しされる。

 

案内する坂本弘之さん

 

「この人が藤中松雄。」

 

坂本さんは、戦争関係の資料が展示されている一角を指さした。額縁に入った海軍制服姿の青年の写真があった。

 

坂本さんは松雄と同じ1921年(大正10年)生まれ。太平洋戦争が始まった1941年12月に召集され、佐世保海兵団に入団した。20歳だった。同じ碓井村から坂本さんと松雄ともう1人、合わせて3人が一緒に召集されたという。村の行事によく関わり一緒に作業をしていた松雄を、坂本さんはリーダー的な存在だったと振り返る。

消灯前に3人で話したのろけ話『おれのかかは…』

海軍制服姿の藤中松雄

 

坂本さん「藤中さんは先頭に立って指導するような立場の活発な人やったですね、人物はよかった。盆綱引きとか良くしてくれよったですね」

 

3人の若者たちの出発を村の人たちは盛大に見送った。

 

坂本さん「1500人くらい見送りや。学校からみんな来る。でも駅過ぎてしばらくしたら、みんな話をしなくなって。それくらい寂しかったんやね、兵隊にいくのは。ほんといったら行きたくなかったんや。でも、行きたくないとかどうとか言われんからね。」

 

佐世保海兵団

 

佐世保海兵団に入団後、3ヶ月の新兵訓練中は消灯前に3人で話をするのが楽しみだったという。坂本さんは独身だったが、藤中家に婿養子に入った松雄には、ミツコとの間に長男が生まれていた。

 

坂本さん「藤中さんは奥さんとこどもの話を良くしよったですね。自慢話聞きよった。お前婿養子やないかって冷やかしたら、『おれのかかは、よか女やけんね』って。嫁さんのことをよく褒めよったやね。きれいな奥さんやったもんね。」

松雄の訃報に村中が悲しみに暮れた「もうどうしようもない」

藤中松雄の葬儀(嘉麻市碓井平和祈念館所蔵)

 

坂本さんによると、みっちゃんと呼んでいた松雄の妻ミツコは、村でも評判の美人だった。新兵教育が終わって三等水兵となった3人はそれぞれの任地へ赴いた。坂本さんは中国の上海へ。藤中さんともう1人は内地だったという。その後、どこへ行ったかは分からない。終戦後、ふるさとへ帰ってきて再会しても、戦争中のことはお互い話さなかった。

 

坂本さん「帰ってきてから何回か会いました、戦争の話は全然二人共、せんやった。どこをどうしてどう動いたか。」

 

松雄がなぜ戦犯に問われたかは知るよしもない。終戦から5年後に届いた松雄の訃報には村中が悲しみに暮れたという。

 

「仕方のないことやけんな。もうどうしようもないからね」

 

取材後、坂本さんが手作りした資料館は、裏にある崖が大雨で崩れる危険性があると役所から指摘され、撤去されてしまった。そして坂本さんご自身も2023年1月、102歳の誕生日を前にして亡くなられた。長生きをされて私たちに貴重な体験を語ってくださったことに感謝の思いは尽きない。

【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

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1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。

*本エピソードは第5話です。
ほかのエピソードは関連リンクからご覧頂けます。

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この記事を書いたひと

大村由紀子

RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。

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