「痛いよー!」風呂に入るだけで苦しんだ6歳のころ 「魚鱗癬」とともに生きる28歳の青年
福岡県北九州市在住の梅本遼さん(28歳)は、国の指定難病「魚鱗癬(ぎょりんせん)」を持って生まれてきました。全身の皮膚が鱗のように硬くなり、剥がれ落ちる症状が起きます。遺伝性の病気で、全国で患者数は200人と言われています。カメラは5歳の時から23年間、取材を続けてきました。
目次
お風呂に入る当時6歳の遼くん
「痛いよー」
魚鱗癬は、皮膚を作る細胞の遺伝子異常によるものです。梅本遼くんは生まれてすぐ、全身に包帯が巻かれました。2001年、6歳だった遼くんがお風呂に入る様子を、カメラは撮影していました。皮膚は、常にかさぶたができている状態。包帯を取るときに、かさぶたが剥がれて強い痛みを伴いました。
「痛いよー」
体温調節が難しく、皮膚のバリア機能が弱いため、頻繁に感染症を起こし、小学生ぐらいまでは1年に1度は入院。救急車を呼んだことも数え切れません。
うつることはないのに、好奇の目に
遺伝子異常による魚鱗癬は人にうつることはありません。しかし、見た目の印象から、遼くんは小さい頃から好奇の目にさらされてきました。
母の梅本千鶴さん「やっぱり見られること。見られるっていうことが私の中ではやっぱり一番辛かったかな。外に本当に連れて出るのがとっても怖かったです。買い物に行ってたりしたら、子供がぐるっと取り囲んで見に来たりとか…」
遼くんには、3歳違いの弟がいます。弟の蓮くんには魚鱗癬の症状は出ませんでした。
母の千鶴さんが助けられた「言葉」
「大きくなったね」「かっこいい」
千鶴さんは遼くんが3歳のころから、他の病気の子供たちと一緒に過ごすキャンプに参加するようになりました。難病のこどもキャンプ「がんばれ共和国」です。千鶴さんが勇気づけられた人がいます。病気を持つこどもの父親でスタッフも務める高見俊雄さんです。
1999年の「がんばれ共和国」でもうけられた親たちの交流の場。千鶴さんは日頃の悩みを打ち明けました。
母の梅本千鶴さん「同じマンションでエレベーターに乗っても、うちの子が乗ったら(住民が)離れるんです。結構大きいお兄ちゃんとかが、離れてジロってただ見てるだけ。『一言声かけてくれれば、こっちも言うことができるのに』と思うんだけど」
誰にも言えない悩みを抱えていた千鶴さんに、高見さんは自分の経験を話します。
高見俊雄さん「ごく普通のお母さんたちが、『この子がいるからエレベーター乗られん』って平気で吐いていきますよ。そういうのが日常ですよね。正直言うけどね、眼鏡かけてたら目が悪いんだもん、障害者ですよね」
あのころを、梅本千鶴さんはこう振り返ります。
「高見さんの言葉を聞かなかったら、今の私はなかったんだろうなと思う。病気で闘っているのは、自分たちだけではないんだ、と教えてくれた場所でもあるんです」
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