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補聴器無しの心理戦で「隙を狙う」一瞬の反応が勝敗をわけるデフバドミントン姉妹が狙う“金メダル”

ルールは補聴器無し。音が聞こえない中、何度も同じ動作を繰り返してタイミングをはかっていく。生まれつき耳の聞こえない姉妹が向き合うのは「デフバドミントン」。一瞬の反応が勝敗をわけるスポーツにおいて、「音」の持つ情報量は大きい。“心理戦”の側面もより強調される。日本代表に選ばれている姉妹は、ブラジル世界大会に出場し、あと一歩で敗退した。努力の塊を自負する2人はあふれる悔しさを受け止め、雪辱を果たすことを誓った。2年後の日本大会では、金メダルを手中におさめられるのだろうか―。

ルールは補聴器無し“一瞬”の反応が勝敗を分ける

静かな体育館に響き渡るシャトルの音。力強いスマッシュを打っているのは、筑紫女学園大学の4年生矢ヶ部紋可(やかべ・あやか)さんと1年生矢ヶ部真衣(まい)さん姉妹だ。矢ヶ部さん姉妹は耳が聞こえない人のバドミントン、デフバドミントンの日本代表選手に選ばれている。

紋可さん「ダブルスで相手の隙を狙うのが好きです」
真衣さん「心理戦。相手が次どこに打ってくるかを想像して動くのが楽しいです」

矢ヶ部さん姉妹がバドミントンに出会ったのは、紋可さんが小学校に上がったときのことだ。地域のデフバドミントンのクラブに誘われたことがきっかけだった。デフバドミントンは補聴器を外してプレーするのがルール。2人は健常者と練習をすることもある。バドミントンは一瞬の反応の遅れが勝敗を分けるとあって音が聞こえない難しさを実感する。

紋可さん「補聴器を外したら聞こえないので、補聴器をつけているときより反応が少し遅くなることがあります。何回も同じパターンを繰り返し練習して、身体に身につけるしかないですね」
真衣さん「聞こえないと、応援の声も聞こえなかったり、ペアの打った球の音も聞こえないので難しいと思います」

音が聞こえない姉妹は、聞こえる人と比べて動きにラグ=遅延が出る。そのラグを織り込んで、いわば先回りして動けるように、同じ動きを繰り返すのだ。「反応を早くするにはそれしかない」と二人は口をそろえる。
 

練習がない日は縄跳び、トレーニングしない日はない

上手くプレーできなかったり、行き詰まったりしたときに2人が頼りにしているのが特別支援学校の金田柳吾教諭だ。金田さんは姉妹が小学生のときから指導してきた。

福岡高等聴覚特別支援学校・金田柳吾教諭「姉の紋可さんは元々性格が我慢強いのでプレーも粘り強い。妹の真衣さんは、負けたくない気持ちが強いので、プレーのときには攻めが強くなっています。2人ともシャトルが床につくまで最後まで諦めないで追いかけるところが他の選手と比べて強く、素晴らしいと思います」

それぞれの強みを活かしてプレーをする矢ヶ部さん姉妹。週に3~4回、3時間の練習に打ち込んでいる。練習がない日は自宅の近くの公園で縄跳びやランニングをするという。つまり、練習もトレーニングもしない日はほとんどない。

紋可さん「自分でやった内容を書いたり、アドバイスを忘れないために書いたりしています」
真衣さん「毎日トレーニングができなかった日も自分の気持ちを書いています」
 

世界大会の悔しさをばねに“努力”に磨き、2025年は優勝へ

2人がここまで努力をするようになったのは、今年7月にブラジルで行われた世界大会に出場したのがきっかけだった。惜しくも準々決勝で敗れたのだ。

真衣さん「今回の7月の世界大会が本当に悔しかったので、それがきっかけだと思います」
紋可さん「悔しいという気持ちがモチベーションになっていますね」

よきペアとして、よきライバルとしてずっと一緒にバドミントンを続けてきた2人。思ったことはすぐ言うようにしようと“協定”を結んでいる。それはコートの内外を問わない。手話と読唇術による会話ができるため、様々な方法でコミュニケーションを取っているそうだ。お互いの存在はどのように映っているのだろうか。

紋可さん「練習をいつも一緒にできるので、モチベーションが上がる存在であるのと、何でも言い合えるのがいいなと思っています」
真衣さん「姉は性格が優しいので私が感情的になったときに助けられます」

姉の紋可さんは来年から県外に就職し、真衣さんとは離れた場所で別々にプレーする。それでも2人の目標は一つ。2025年に日本で開かれるデフリンピックでの優勝だ。

真衣さん「姉は自分のところで頑張ると思うので私も負けずに。4年生まで、2025年まで時間があるので、自分でできることをしっかり頑張りたいと思います」
紋可さん「2025年のデフリンピックでダブルス金メダルを目標にしています」

最高の結果を目指して姉妹の努力はこれからも続く―。

 

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この記事を書いたひと

奥田千里

2000年生まれ。福岡県北九州市出身。