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19歳で死刑宣告を受けた元戦犯は~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#17

役場を去る時に全職員に語る

 

小浜さんは、竹富町の助役を退職する際、慰労会を辞退する代わりに、全職員を集めて自分の体験を話す時間をとってもらった。

(小浜正昌さん)
「それは平和っていうのは何であるか、戦争っていうのは何であるかっていうことを、自分の体験を通して、職員に必ず伝えて退官したかった。戦争っていうことについては、とにかく絶対、どんなことがあっても起こしてはならないと。戦争の醜さ、みんな戦争によって人間が狂っている、正常な人間はいない。すなわち、殺すか殺されるかという中に置かれて、人間は狂っていますから。その中で起きた事件です。だから戦争は二度と起こしてはならない。」

戦争は二度と起こしてはならない

BC級戦犯として死刑を宣告された小浜さん(当時19歳)

 

インタビュー中、小浜さんは何度も「戦争は起こしてはならない」と繰り返した。

(小浜正昌さん)
「正直いって思い出したくないんですね。私は石垣島事件にかかわる件については、できるだけ触れたくないというのが僕の心境でもあったし。しかし戦争は二度と起こしたくないと、起こしてはならないというのが、沖縄の私たちに課された責務かなと。事件に関わった人間として、これは敵味方を問わず、戦争が起きたためにそういう事件が起きてしまったわけだから、その事件をなくすためにも戦争を起こしてはならない」

小浜さんは2009年に81歳で亡くなった。テレビ取材に応じて、語ってくださった小浜さんの表情には迫力があった。経験した人だからこその、心からの訴えに思えた。


(11月24日公開のエピソード18に続く)
*本エピソードは第17話です。

【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

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1950年4月7日に執行されたスガモプリズン最後の死刑。福岡県出身の藤中松雄はBC級戦犯として28歳で命を奪われた。なぜ松雄は戦犯となったのか。松雄が関わった米兵の捕虜殺害事件、「石垣島事件」や横浜裁判の経過、スガモプリズンの日々を、日本とアメリカに残る公文書や松雄自身が記した遺書、手紙などの資料から読み解いていく。

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この記事を書いたひと

大村由紀子

RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。

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