先が見えない現状でも“復興後”を語る「古美術店をまたこの地で…」~記者が見た能登半島地震:被災地取材リポート
元日に最大震度7を記録した能登半島地震は発生から2週間以上が経過した現在も、多くの人が元の生活に戻ることができていない。JNN取材団の一員として福岡から派遣された記者が目の当たりにした被災地の実情はー
崩れずに残っていた家屋で出会った58歳の男性
車で移動していても視界に入ってくるのは倒壊したビル、道を塞ぐように倒れた家、隣の家によりかかるように傾いた状態で止まった家も。いつ倒れても不思議ではない。倒壊した建物で通行できない場所があちこちにあり、何度も引き返した。でこぼこのアスファルトでタイヤがバーストしないようにゆっくりと進む。雨のせいか、出歩く人はほとんどいなかった。その時、原形をとどめている家屋の中で、スマートフォンを触る男性が見えた。取材に応じてくれた宮崎哲也さん(58)。輪島市で古美術店を営んでいて、大規模な火災に見舞われた輪島朝市にも出店していた。宮崎さんは地震後、朝市の店舗の様子を見に行った際、スマートフォンで動画を撮影していた。「ここから何を掘り出すって・・・」漏れた言葉から途方に暮れた様子が伝わる。映像からかろうじて分かるのは店の屋根のみだ。「江戸時代の徳川家の塗り物とかそういうのもあったんですけど、それも多分無理でしょうね」、そう話す宮崎さん。近くにあったもう一つの店舗とあわせて輪島塗や有田焼など数千点を失ったという。
雪を溶かして生活水に…そんな状態でも前を向く
宮崎さんは現在、輪島朝市の近くにある自宅の2階部分で寝泊まりしている。電気は来ているが断水は続く。店の外には雪がたまったバケツが並べてあった。積もった雪を溶かして水にし、洗濯などに使っているのだという。私が被災地に滞在したのはわずか4日間だが、それでも断水下の生活の困難さを思い知らされた。トイレは使えないため、段ボール製の簡易トイレを使用した。手も洗えない。もちろん風呂にも入れないので、ボディーシートで体を拭くことしかできなかった。そんな生活がいつまで続くかわからない被災地の人々。思い切って宮崎さんに尋ねた。「この朝市でまた営業再開したいですか?」私の質問が終わらないうちに、かぶせるように宮崎さんが答えた。「できればやっぱりやりたいです。」まったく先が見通せない状態にも関わらず、宮崎さんは力強く言葉を続けた。「街がずたずたになっているから、観光客が果たしてまた来てくれるのかどうか。でも、ここは観光の町ですから。できればこの場所で、もう一度やりたいです。」一人でも多く被災者の声を伝えていきたい。改めてそう思った。
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この記事を書いたひと
浅上旺太郎
山口県出身。九州大学法学部卒。2015年入社。本社報道部、現在の情報番組部を経て2022年6月から北九州報道制作部。福岡県警・北九州市政などを担当。最も印象に残る取材は2017年7月の九州北部豪雨。