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「北九州市」飛翔のカギとなるか “悲願”の空港滑走路「延伸」決定の理由 新市長就任から1年 福岡

北九州市の武内和久市長が下馬評を覆して当選、市長に就任してから20日で1年。就任直後に決定したのが、北九州空港の滑走路の3000メートル延伸でした。「悲願」とされてきた延伸がなぜすぐ決まったのか、その背景と今後の課題を取材しました。

就任1か月後に国は延伸を決定 その訳は


国土交通省が3000メートル延伸を決めたのは、武内市長の就任から1か月後でした。なぜこのタイミングだったのでしょうか? 自民党の関係者は、「市長選で肩入れした出身官僚が敗北したことを受けて、国土交通省が考慮した」との見方を示しています。

1年前の市長選で自民党や立憲民主党など与野党が相乗りで担いだのは、国土交通省の元官僚、津森洋介氏でした。
 


北九州市 北橋健治市長(当時)「空港の問題、物流は津森さんが得意のフィールドであります」

その元官僚、「滑走路の延伸をできるのは自分だ」と主張していました。
 


津森洋介氏(2023年1月)「空港の3000メートル化、港湾環境の整備。交通インフラの整備を国土交通省、国にあってしっかりやっていかなきゃいけないと思っています。これができるのが私、津森洋介です」

応援する自民党の北九州市議らも、滑走路延伸をスピーディーにできるのは国交省の元官僚しかいないなどと声高に宣伝していましたが、不利だとする大半の見方を覆し、武内氏が7区全てで勝利して当選しました。
 


 

 

北橋前市長が1年あまり会っていなかった国土交通大臣に、就任4日後に面会した武内市長。滑走路の延伸決定は「官僚時代から培ってきた人脈などが功を奏した」と話します。

北九州市 武内和久市長「選挙中から、当然私が市長になったら、いの一番に空港の滑走路をやるぞという思いでおりましたし、その思いで就任してすぐ動いた。国土交通省に行ってみると、『選挙は選挙、しっかり未来に向かって一緒に北九州市と国とやっていこう』と。かつての官僚時代の仲間が今幹部になっていたので、皆からあたたかいエールを一杯いただいて、すぐ大臣にも会わせていただいた」

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