地域の文化や伝統を受け継ぐ取り組みです。港町で知られる佐賀県唐津市の呼子町で、かつて行われていた地域の祭り、「くんち」を復活させる取り組みが進んでいます。7年の歳月をかけて実現を目指してきた計画が、先週末に大きく前進しました。
明かりがともされ、柔らかな光を放つ、和紙でできたセミクジラの親子。親クジラは全長が約3.9メートルで、骨組みやのりは使わず、縄や糸をすき込むことで、立体的に仕上げる独自の手法で作られています。
今月28日、唐津市呼子町で、完成した親子鯨の山車がお披露目されました。
子ども「目もキラキラしていて、和紙だから透けているんですかね。だから光っている」
この山車の出番は今年10月、33年ぶりに開かれる「呼子くんち」です。
呼子くんち実行委員会 山下正雄会長「奇跡が起きました。親子鯨が呼子に来たわけです。この親子鯨を活用して、呼子くんちを挙行し、呼子の活性化を願う」
呼子くんちは、祝い事などに合わせて、山車を仕立ててまちを練り歩く祭りです。かつては呼子の各地区で行われていましたが、戦後は人手不足などから次第に開かれなくなり、1989年を最後に途絶えていました。
この祭りを復活させる計画が持ち上がったのは、2015年。一人の男性の提案でした。
「鯨の山車を作り、呼子に寄贈したい」
秋の唐津くんちで知られる唐津の城下町出身の進藤幸彦さんは、伝統行事がまちおこしや、地域の子どもたちの育成につながると考え、呼子でもくんちを復活させようと考えました。デザインや制作方法を考え、山車作りに奔走した幸彦さんでしたが、思い半ばにして病に倒れてしまいます。
次男の進藤さわとさん「父が一番やりきる力のすごい人だったので、そこに負けまいと、やりきったぞというとこは報告したいと思う。この素晴らしい曳山を町の方々と盛り上げてほしい」
幸彦さんの遺志を継いだ次男のさわとさんは、世界的な和紙の作家・堀木エリ子さんと出会い、山車の制作を依頼。幸彦さんの夢が、7年越しでようやく形になりました。
堀木エリ子さん「日本の古い文様を使っている。輪違いという柄は、連綿として絶えないという意味がある。親も子も背中には羅針盤を背負っています。呼子の文化だったり産業だったり、そういうものが世界に広がっていくようにという思いを込めている」
呼子はかつて、捕鯨の中心地でした。人々のくらしが鯨と密接に結びついていたことから、鯨への畏敬の念が根付いています。伝統の祭りを通じたまちおこしと同時に、捕鯨の文化を後世に伝えたい。親子鯨のデザインには、そんな思いも込められています。
子ども「鯨の目がダイヤモンドみたいに光っていたから、すごいと思った」
男性「点灯している姿もすごくきれいなので、実際の呼子くんちの時にどういうふうになるのかがすごく楽しみ」
完成した山車は、呼子の捕鯨文化を今に伝える中尾家屋敷で展示されています。10月16日の開催を目指す呼子くんちでは、山車がまちを練り歩くほか、ライトアップしながら船で湾内を巡ることも計画されています。
明かりがともされ、柔らかな光を放つ、和紙でできたセミクジラの親子。親クジラは全長が約3.9メートルで、骨組みやのりは使わず、縄や糸をすき込むことで、立体的に仕上げる独自の手法で作られています。
今月28日、唐津市呼子町で、完成した親子鯨の山車がお披露目されました。
子ども「目もキラキラしていて、和紙だから透けているんですかね。だから光っている」
この山車の出番は今年10月、33年ぶりに開かれる「呼子くんち」です。
呼子くんち実行委員会 山下正雄会長「奇跡が起きました。親子鯨が呼子に来たわけです。この親子鯨を活用して、呼子くんちを挙行し、呼子の活性化を願う」
呼子くんちは、祝い事などに合わせて、山車を仕立ててまちを練り歩く祭りです。かつては呼子の各地区で行われていましたが、戦後は人手不足などから次第に開かれなくなり、1989年を最後に途絶えていました。
この祭りを復活させる計画が持ち上がったのは、2015年。一人の男性の提案でした。
「鯨の山車を作り、呼子に寄贈したい」
秋の唐津くんちで知られる唐津の城下町出身の進藤幸彦さんは、伝統行事がまちおこしや、地域の子どもたちの育成につながると考え、呼子でもくんちを復活させようと考えました。デザインや制作方法を考え、山車作りに奔走した幸彦さんでしたが、思い半ばにして病に倒れてしまいます。
次男の進藤さわとさん「父が一番やりきる力のすごい人だったので、そこに負けまいと、やりきったぞというとこは報告したいと思う。この素晴らしい曳山を町の方々と盛り上げてほしい」
幸彦さんの遺志を継いだ次男のさわとさんは、世界的な和紙の作家・堀木エリ子さんと出会い、山車の制作を依頼。幸彦さんの夢が、7年越しでようやく形になりました。
堀木エリ子さん「日本の古い文様を使っている。輪違いという柄は、連綿として絶えないという意味がある。親も子も背中には羅針盤を背負っています。呼子の文化だったり産業だったり、そういうものが世界に広がっていくようにという思いを込めている」
呼子はかつて、捕鯨の中心地でした。人々のくらしが鯨と密接に結びついていたことから、鯨への畏敬の念が根付いています。伝統の祭りを通じたまちおこしと同時に、捕鯨の文化を後世に伝えたい。親子鯨のデザインには、そんな思いも込められています。
子ども「鯨の目がダイヤモンドみたいに光っていたから、すごいと思った」
男性「点灯している姿もすごくきれいなので、実際の呼子くんちの時にどういうふうになるのかがすごく楽しみ」
完成した山車は、呼子の捕鯨文化を今に伝える中尾家屋敷で展示されています。10月16日の開催を目指す呼子くんちでは、山車がまちを練り歩くほか、ライトアップしながら船で湾内を巡ることも計画されています。
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