忘れられた画家 塩月桃甫
2021年第3回
制作:MRT宮崎放送
ディレクター:木山 奈緒
塩月桃甫(1886~1954)は、戦前の日本統治時代の台湾に初めて西洋美術を普及させ、台湾美術展覧会を創設し、台湾美術界に多大なる貢献をした宮崎県出身の画家。台湾では今も塩月を尊敬する画家や美術研究者が多数存在し、その評価も見直されている。しかし、日本では塩月の名を知る人はほとんどいない。
宮崎出身の画家、小松孝英は、9年前から台湾の国際アートフェアに出品した時、現地で塩月の名前をよく聞くことに気づき関心を持つようになった。そんなある時、宮崎県内の骨董屋で塩月桃甫の描いた台湾原住民族の油絵と出会う。しかし、調べて行くうちに台湾での知名度、貢献度とは対照的に日本では無名だということを知る。
同じ故郷宮崎の画家として、興味を抱いた小松は彼のドキュメンタリー映画を製作することを決意。わずかに残る当時の塩月を知る教え子たちや親族を探し出し、台湾と日本各地で撮影を敢行。
時代に取り残され、忘れられてしまった宮崎出身の画家が台湾でどんな激動の時代に生きたのかを追う小松はこの約一世紀前の同郷の画家を追いかけるにつれ、アーティストにとっての「自由」とは何かを考えさせられる。
制作:MRT宮崎放送
ディレクター:木山 奈緒
塩月桃甫(1886~1954)は、戦前の日本統治時代の台湾に初めて西洋美術を普及させ、台湾美術展覧会を創設し、台湾美術界に多大なる貢献をした宮崎県出身の画家。台湾では今も塩月を尊敬する画家や美術研究者が多数存在し、その評価も見直されている。しかし、日本では塩月の名を知る人はほとんどいない。
宮崎出身の画家、小松孝英は、9年前から台湾の国際アートフェアに出品した時、現地で塩月の名前をよく聞くことに気づき関心を持つようになった。そんなある時、宮崎県内の骨董屋で塩月桃甫の描いた台湾原住民族の油絵と出会う。しかし、調べて行くうちに台湾での知名度、貢献度とは対照的に日本では無名だということを知る。
同じ故郷宮崎の画家として、興味を抱いた小松は彼のドキュメンタリー映画を製作することを決意。わずかに残る当時の塩月を知る教え子たちや親族を探し出し、台湾と日本各地で撮影を敢行。
時代に取り残され、忘れられてしまった宮崎出身の画家が台湾でどんな激動の時代に生きたのかを追う小松はこの約一世紀前の同郷の画家を追いかけるにつれ、アーティストにとっての「自由」とは何かを考えさせられる。
各局の放送予定
RKB | 2月14日(日) | 5:15 |
NBC | 2月14日(日) | 25:50 |
RKK | 2月14日(日) | 4:30 |
OBS | 2月14日(日) | 25:20 |
MRT | 2月14日(日) | 24:50 |
MBC | 2月14日(日) | 5:35 |
RBC | 2月14日(日) | 26:25 |
塩月桃甫(1886~1954)は、戦前の日本統治時代の台湾に初めて西洋美術を普及させ、台湾美術展覧会を創設し、台湾美術界に多大なる貢献をした宮崎県出身の画家。台湾では今も塩月を尊敬する画家や美術研究者が多数存在し、その評価も見直されている。しかし、日本では塩月の名を知る人はほとんどいない。
宮崎出身の画家、小松孝英は、9年前から台湾の国際アートフェアに出品した時、現地で塩月の名前をよく聞くことに気づき関心を持つようになった。そんなある時、宮崎県内の骨董屋で塩月桃甫の描いた台湾原住民族の油絵と出会う。しかし、調べて行くうちに台湾での知名度、貢献度とは対照的に日本では無名だということを知る。
同じ故郷宮崎の画家として、興味を抱いた小松は彼のドキュメンタリー映画を製作することを決意。わずかに残る当時の塩月を知る教え子たちや親族を探し出し、台湾と日本各地で撮影を敢行。
時代に取り残され、忘れられてしまった宮崎出身の画家が台湾でどんな激動の時代に生きたのかを追う小松はこの約一世紀前の同郷の画家を追いかけるにつれ、アーティストにとっての「自由」とは何かを考えさせられる。
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