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東アジア情勢に詳しい、元RKB解説委員長で福岡女子大学副理事長の飯田和郎さんが、6月22日放送のRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演しました。国交のない台湾との友好関係を重視する日本の超党派議員連盟が「日華議員懇談会」から「日本台湾友好議員連盟」へ名称を変更した意味と、それが日中関係に与える影響について解説しました。
G7サミットにも持ち込まれた日中対立
先週、フランスでG7サミット(主要7か国首脳会議)が開かれました。高市総理は、中国による日本向けの輸出品規制について「G7各国や同志国に影響を与えかねない状況を深刻に懸念している」と述べました。冷え切った日中関係が、G7サミットの場にも持ち込まれた形です。
これに対し、中国側は即座に批判しました。6月18日、中国外務省のスポークスマンは「日本が派閥(G7のこと)を作って対立をあおろうとする意図を反映している。必ず失敗します」と反発。さらに、高市総理が「さまざまな対話はオープンだ」と述べたことについて、「対話を叫ぶ一方で、対立に奔走するのは完全な自己矛盾だ。関係の改善を望むなら、実際の行動をもって両国の関係の政治的基盤を守るべきです」と述べました。
「実際の行動」つまり「態度で示せ」ということですが、ここに来て日本側が新たに取った「実際の行動」が、逆にさらなる摩擦要因になりそうです。
「日華懇」から「日台友好議連」へ。53年目の名称変更
国交のない台湾との友好関係を重視する議員連盟「日華議員懇談会」が11日に総会を開き、名称を「日本台湾友好議員連盟」に変更すると決定しました。議員連盟の古屋圭司会長は、「名称変更は台湾と日本が揺るぎない絆で結ばれている証し」と強調しています。
「日華懇」は自民党を中心に300人以上の国会議員が所属する超党派の組織で、政府主導の外交とは別に、台湾との「議員外交」を推進してきました。
この組織の歴史は古く、日本と中国が国交を正常化させた1972年の翌年(1973年)、日台断絶から間もない時期に自民党の台湾支持派が発足させた「日華関係議員懇談会」がルーツです。1997年に超党派の「日華議員懇談会」となり、今回が2回目の名称変更となります。
「華」を外すことの政治的意味と台湾側の「中華」離れ
議員外交を担う組織の名称変更が、なぜ日中の摩擦要因になるのでしょうか。ポイントは、略称の「日華懇」の「華(中華民国)」が外されたことです。
これまでの「日華」という名称は、中華民国を意識した呼称でした。それが「日台(日本台湾友好議員連盟)」へと変更されたことは、日本のパートナーが中華民国ではなく「台湾」になったことを意味します。また、「懇談会」から「友好議員連盟」への変更は、双方の議会交流が新たな段階へ進んだことを示しています。300人超のメンバーを擁する日本の国会が、台湾との関係をより明確に表現したと言えるでしょう。
現在の台湾政権も、「“中華民国”離れ」を進め、「自分たちは“台湾”だ」という主張を強めています。例えば、台湾のパスポートの表紙は、かつては「中華民国」とだけ書かれていましたが、「中国のパスポートと混同される」という理由で、2003年から「TAIWAN」の文字が記されるようになりました。2020年の最新デザインでは、このアルファベットがさらに大きくなっています。

また、台湾の代表的な航空会社である中華航空(チャイナエアライン)も、1959年の設立当時は「中国を代表する唯一の政府は台湾にいる自分たちだ」という主張から「中華」を名乗りましたが、今日では「中華を外せ」という声が台湾内部からたびたび上がっています。
今回の「日台友好議連」への名称変更は、こうした台湾側の「中華」離れの動きに日本側が呼応・連動した結果とも言えます。
台湾側の歓迎と、中国の強まるいら立ち
当然、台湾側はこの名称変更を歓迎しています。台湾の李逸洋・駐日代表(大使に相当)は、「名称変更を頼清徳総統に報告したところ、総統は喜んでいた」と明かしました。
日本には中国との間に「日中友好議員連盟」という超党派の組織がありますが、台湾からすれば「中国と同じ『友好議員連盟』に格上げされ、同等に位置付けられた」という思いがあるのでしょう。
ここ数年、日本と台湾の関係は、正式な外交関係はないものの、民間・政治レベルともに蜜月ぶりが続いています。今回の名称変更は政府主導ではありませんが、組織の中心が自民党であり、その総裁が高市総理であることを考えれば、中国の高市政権へのいら立ちをさらに高めることに結びつくはずです。
パイプの目詰まり。中国とどう向き合うのか
時にヒステリックとも思える中国の対日批判は、日本国民の対中感情を損ない、民意に敏感な国会議員たちを、日本と同じ民主主義を重んじる台湾へと傾かせています。中国はその結果をきちんと理解すべきです。
一方で、日本も中国との関係を放置していいわけではありません。日中関係の重鎮だった河野洋平・元衆院議長が6月8日に亡くなりました。河野氏は今週、北京を訪問し、中国の要人との会談も予定されていました。また、中国と長い交流を持つ公明党が連立政権を離脱したことで、日中パイプの目詰まりが起きています。
「難しい相手」にこそ向き合うのも政治手法の一つですが、この困難な局面をどう乗り越えていくのか、日本外交の真価が問われています。
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この記事を書いたひと

飯田和郎
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。2025年4月から福岡女子大学副理事長を務める。





















