[特集]激動の保健所で即応即断…「宮﨑流」の所長が退職

[特集]激動の保健所で即応即断…「宮﨑流」の所長が退職

新型コロナの感染対策に尽力したある保健所の所長が、この春定年退職を迎え、職場を後にした。1人の医師でもあった所長は、その使命感から自らクラスターが起きた病院へ足を運び、現場を見て、まさに“奔走”した。

組織のリーダーとして、情報を一手に集め、打つ手を次々に決めていく手法は「宮﨑流」と呼ばれた。

激務“保健所”のトップの素顔は…

「おはようございまーす」福岡県糸島保健所の朝の風景。

新型コロナの感染拡大で多忙を極めるなか、常に慌ただしく動き回っているのが、医師でもある宮崎親所長だった。

流行が始まってから2年あまり。RKBは、新型コロナと闘った所長の2年間を追いかけてきた。

「とにかく先にして!」(宮崎所長)

第3波の真っ只中にあったおととしの年末、大声で指示を出すのは宮崎所長だ。濃厚接触者の特定を急ぐために糸島保健所の中を駆け回っていた。

「副所長に言っておかないとダメだ!」(宮崎所長)

去年5月、ゴールデンウイークの連休も休むことはなかった。自らの業務もひっ迫していたものの、連日遅くまで残業している職員への気遣いは忘れなかった。

「JR筑肥線の終電が繰り上がったので、みんな終電に間に合うように何とか業務をそこそこで止めるようにして帰らせました」(宮崎所長)

この時期、特に時間がかかっていたのが、陽性者の健康状態や濃厚接触者を調べるための「疫学調査」だ。

糸島保健所は、聞き取りの内容を宮崎所長にすべて報告し、今後の方向性を決める手法を取り入れた。この手法は「宮崎流」とも呼ばれた。

一般的な保健所は、担当職員が現場で聞き取りをした内容を上司に報告。そこから上へ上へと情報が伝わり、最終責任者が決済するピラミッド型の指揮系統だ。どうしても時間がかかる。

一方「宮崎流」は、判断のリードタイムを短縮し、業務の効率を格段に上げた。

「バラバラに対応していたら二重、三重になって段取りが遅くなるからですね」(宮崎所長)

最重視したのは「スピード」

現場のトップに立つ宮崎所長が、日ごろから最も重視していたのはスピードだった。

先月末、糸島保健所は、小学生の陽性者をめぐって、どこまでを濃厚接触者に認定するか協議していた。一連のやりとりは、所長室で行われた。

「11歳の男の子。25日から咽頭痛」(糸島保健所の職員)
「じゃあ、発症日は25日からでいいよ」(宮崎所長)
「24日まで学校に通っていました」(糸島保健所の職員)
「じゃあ学校に連絡して!でも、もう春休み入ってるね」(宮崎所長)

発症日はすぐに決まった。次は濃厚接触者の特定だ。スピード感のある言葉のキャッチボールが続く。

「対象者が家族3人と、発症日に友達と遊んだ。90分間自宅で遊んだ後に外でも遊んだ」(糸島保健所の職員)
所長)
「ノーマスクだろうね。いいよ濃厚接触者で。その子は検査に入れたら?4人検査ということで」(宮崎所長)

結局、男の子の4人の友人が濃厚接触者として検査を受けることになった。

医師免許を持つ宮崎所長は、直接現場に足を運ぶことも少なくない。この日向かったのは、クラスター(感染者の集団)が確認された糸島市内の病院だ。

患者6人と職員1人の計7人が新型コロナの検査で陽性だった。宮崎所長は、病院長からヒアリングを受けた。

「1病棟のみで今のところでてます」(病院長)
「PCR検査ができる限度はどれくらい?」(宮崎所長)
「検査機器を2台回しているので、1検体40~50分で結果が出ます」(病院長)
「今後の方針ですが、様子見ながら症状が出たときに拾っていく形でいいと思います」(宮崎所長)

所長自らクラスターの対処方針を即断した場面だった。

「宮﨑流」のトップ…この春で定年退職

先月31日、宮崎所長は退職の日を迎えた。福岡県庁で辞令と感謝状を受け取ったその足で、心血を注いだ糸島保健所へ向かった。

糸島保健所に戻ると、職員が所長室に入ってきた。感染の拡大局面で糸島市から応援で派遣された保健師の面々だ。

「“チーム感染症”で来てくれたの?どうもありがとうございます」(宮崎所長)

似顔絵を書いた色紙を職員たちが手渡した。

「おー!誰が描いたの?」(宮崎所長)
「いろいろ勉強させていただきました。ありがとうございました」(糸島市の保健師)

激動の2年間。新型コロナ対応に忙殺された保健所を指揮した宮崎所長。同じ方向を見て、職務に邁進してきた部下に投げかけたのは、感謝の言葉だった。

「所長の独断で35人一致団結してコロナに向かうと決めてコロナ対策させていただきました。“チーム糸島”としてコロナ対策に取りかかれたのは本当に幸せだと思う」(宮崎所長)

糸島保健所保健衛生課は、新型コロナ対応の中核を担う部署だ。宮崎所長が“戦友”と表現する松尾課長は…。

「糸島の場合限られた人員でその時々でやり方を変えないとやっていけない状況になったときにトップとして素早い決断力と行動力で変えていったので、とてもやりやすい状況を作っていただけた」(松尾課長)

「25年間の集大成みたいな2年間。自分が持っていたもの全部と現状の120%をここに注がないと対応できなかったのは間違いない。自分たちがやっていることがこの地域、糸島の人たちの役に立っているのを感じながら、地域の人と一緒になって新型コロナと戦えた。これは大きな財産だった」(宮崎所長)

27年の保健所勤務に終止符を打った宮崎所長。今後は、医師として高齢者施設や医療機関で地域医療を支える。

この特集は4月4日に放送したオンエアを基に構成しました。オンエアの内容は下記の公式Youtubeから見ることができます。

日曜劇場『アトムの童』

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