伝説のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』原一男監督に聞く
伝説のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』(監督・原一男)の上映会が6月4日、福岡市内で開かれた。この映画を学生時代に見て強い衝撃を受けたというRKB神戸金史解説委員がこの映画を再鑑賞したうえで原監督にインタビューし、作品の見どころを交えながらRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で伝えた。
伝説的なドキュメンタリー映画
この動画、1987年公開のドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』の予告編です。この年の大ヒット映画で「毎日映画コンクール」で優秀賞・監督賞・録音賞、「報知映画賞」で最優秀監督賞などなど、ドキュメンタリー映画でありながら、国内外の賞を総なめにした作品です。監督はドキュメンタリー映画の巨匠・原一男さん。
ドキュメンタリーなので、主人公は元陸軍上等兵の奥崎謙三という、実在している人物。奥崎は1920年兵庫県生まれで、当時60代。妻と2人で、神戸で中古の軽乗用車やバッテリーなどを売る仕事をしているんですが、お店のシャッターや車の上の看板には「田中角栄を殺すために記す」とか「怨霊」だとか「神軍」などおどろおどろしい文字が並んでいます。
映画のホームページにはこう紹介されています。
「87年の日本映画界を震撼させた驚愕の作品。天皇の戦争責任に迫る過激なアナーキスト・奥崎謙三を追った衝撃のドキュメンタリー」
こんな奥崎に原監督が密着していく映画なんですが、私がこれを観たのは大学生のときで、大きなショックを受けました。観たことによって、ちょっと人生が変わったかもしれない、とさえ思いました。
原監督と話してみた
原監督に6月5日、お話を伺いました。
神戸:私も何度も見てますけども、(初演は)1987年ですね。
原:はい、もう30年以上前です。
神戸:その時、私は大学生で、渋谷の映画館で観て、出てきた後に、全く消化できず、生まれて初めてもう1回チケットを買って映画館に入りました。
原:そうですか(笑) 映画館の前に長い階段があってね。ずっと行列ができてたんですよね。
神戸:そのうちの1人が、私ですよ。
原:ははは、ありがとうございます。
【原一男監督】
1945年6月8日、山口県宇部市生まれ。72年、小林佐智子と共に疾走プロダクションを設立、『さようならCP』でデビュー。74年には『極私的エロス・恋歌 1974』を発表。
87年の『ゆきゆきて、神軍』が大ヒットを記録、世界的に高い評価を得る。1994年に『全身小説家』、2005年には初の劇映画となる『またの日の知華』を監督。2017年に『ニッポン国VS泉南石綿村』を発表。2019年、ニューヨーク近代美術館で、全作品が特集上映された。新作に『れいわ一揆』、『水俣曼荼羅』。
奥崎謙三とはどんな男なのか?
奥崎は第2次大戦中に招集されて、激戦地のニューギニアに派遣されました。ジャングルの中で生き残ったのは1300人のうちわずか100人くらい。彼は途中で捕虜になってしまいますが、戦後日本に帰ってきた後、傷害致死で懲役10年の判決を受けて服役します。
出所後、1969年の一般参賀で、バルコニーに立っている昭和天皇に向かって、亡くなった戦友の名前「ヤマザキ、天皇を撃て」と叫びながら手製のゴムパチンコでパチンコ玉を発射し、懲役1年6か月。このような事件を引き起こしている人です。アナーキスト(無政府主義者)ですね。
彼は、若い兵隊が終戦後23日経ってから処刑された事件を、ずっとこのドキュメンタリーの中で追いかけています。なぜ死んだのか? 誰が殺したのか? 戦争が終わっても、無念の兵隊を弔うために軍の仲間を訪ね続けていきます。
「無礼だ」と思ったら容赦なく突然殴りかかったり、自分で110番通報をして警察を呼んだり。何が起こるか分からないまま、若い原監督はカメラで密着していく状態でした。
アナーキスト・奥崎謙三がなぜこんなふうに闘ったのでしょうか?
原:奥崎さんは、天皇制相手に「独りでケンカを売る」という発想をするんです。組織を作らないという発想なので、独りで強大な相手を敵にして戦うわけだから、天皇制を上回る「観念」を自分の中に持たないと、戦うという言葉が出てこない。戦国時代もそうですが、戦う側って「大義名分」を必要とするじゃないですか。大義名分として奥崎さんは、新しい神様、新しい宗教、つまり「神軍平等兵」を名乗ります。その観念は、奥崎さんの中では天皇制より上位にありました。
【奥崎謙三】
1920年、兵庫県生まれ。第2次大戦中に召集され、独立工兵隊第三十六連隊の一兵士として、激戦地ニューギニアへ派遣される。1956年、不動産業者を死亡させ、傷害致死罪で懲役10年の判決。1969年、一般参賀の皇居バルコニーに立つ昭和天皇に向かい「ヤマザキ、天皇を撃て!」と戦死した友の名を叫びながら、手製ゴムパチンコでパチンコ玉4個を発射し、懲役1年6か月の判決。1972年、“天皇ポルノビラ”をまき、懲役1年2か月の判決。1981年、田中角栄元首相殺人予備罪で逮捕(不起訴)。1983年、元中隊長の息子に発砲。1987年、殺人未遂等で懲役12年の判決。(公開時資料より抜粋)
「怨霊」を弔う神軍平等兵
戦時中は陸軍上等兵だった奥崎は、戦後「神軍平等兵」を名乗り、車には「怨霊を弔う」と書いて、慰霊の旅を続けていく。もう、戦争なんてはるか昔の時代になっていましたが、それでもやっていく。それは、ニューギニアでの悲惨な体験があったからです。
原:武器も持たず食料もない、という状態で送り込まれた奥崎さんの部隊は、最初から逃げ惑うことを運命づけられていた。1,300名のうち、生きて帰った人は結果として100名ぐらいなんですって。ちょうど敗戦の1年前ぐらいから「人肉を食べる」という状況が始まった、と。そのタイミングで、奥崎さんたちのグループは食料を奪いに行くんですよ、村人たちの。それで逆襲されたために、連合軍側に捕まり捕虜になるというふうになっていくのかな。それでオーストラリアに送られるわけです
神戸:最悪の飢餓状況に陥る前に、捕虜になった、ということですね?
原:捕虜になっているから、人肉を食わずに済んだということです。
戦争で亡くなった多くの方々は、飢餓が理由です。撃たれて亡くなった方よりずっと多い。飢餓の中で、人の肉を食べないと生きていけないという状況に追い込まれていました。
実は、この映画のテーマの一つは「人肉食」で、あの当時の仲間たち、上官たちに告白させます。奥崎自身は捕虜になって、人肉を食べてはいませんが、そういう残酷なことが起こった中で、戦後になって処刑を行っていきます。「誰が撃ったんだ?」「あなたが撃ったのか?」「いや、撃っていない」。そんなやりとりの挙句、殴り倒して、その後に撃ったことを告白させています。
こんなアナーキーなことをすることは、非常に大きな問題があると思っていますが、同時に「時代」もあったと思います。こういった作品が映画館でかけられるほどの「自由度」がありました。今だったら、個人情報の問題もあるからこんなことはできないかもしれません。とにかく稀有な作品です。
原:公開当時、若い観客が多かったんです。劇場の中で、笑いがいっぱい起こるんですよ。だけど今、若い子が見に来ても、笑いはまず起きないんですよね。それだけ時代の差があるんでしょう。「なんでこのおっちゃん怒るのかしら」。リアルさがどんどん希薄になっていってると言いますか、だから笑いようもないというか。
それでも、作り手として私たちは、「時代が過ぎていく」ことの意味を、作品を作ることでしか考えていくことはできません。どういう風にそのあたりの問題を考えて、作品を作っていくのか? いつもいつも、思うのはそのことばかりですよね。
今も見ることができる『ゆきゆきて、神軍』
なぜきょうこの映画を紹介したかと言うと、つい先日、6月4日(日)に福岡市総合図書館の映像ホール「シネラ」で上映会があったからなんです。そして、原さんは6月8日が誕生日でした。終戦の年に生まれて、それなりの年齢ですが、今も熱意を持って映画作りに取り組んでいます。
『ゆきゆきて、神軍』は、AmazonプライムやU-NEXTなどでも見ることができます。『ドキュメント ゆきゆきて、神軍』増補版(皓星社、2018年)という本も出ています。
◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件を取材してラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。
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