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「石垣島事件」とは?殺害されたのはいずれも20代の米兵だった~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#11

BC級戦犯として処刑された藤中松雄が関わった「石垣島事件」。殺害されたのは、米軍のグラマン機に搭乗していた3人の米兵だった。いずれも20代の若者。2001年、石垣島には3人を慰霊する碑が建立された。毎年、4月15日に慰霊祭が行われているが、島の人たちは「石垣島事件」についてあまり知らないという。

殺害された米兵はいずれも20代だった

殺害された3人の米兵

 

1945年4月15日、石垣島事件で殺害された3人の米兵。米軍の空母、マカッサルストレイトから飛び立ったグラマン機、TBMアベンジャーに搭乗していた。パイロットのバーノン・L・ティボ中尉、砲撃担当のロバート・タグル・Jr兵曹、通信担当のウォーレン・H・ロイド兵曹のチームだ。中央で笑みをみせるティボ中尉は殺害当時27歳、イリノイ州シカゴ出身で6日後に誕生日を控えていた。小犬を右手に抱えて写真に収まるタグル兵曹は20歳、テキサス州レインジャー出身。長身で体格の良いロイド兵曹は23歳、ニューヨーク州ロングアイランド出身だった。

石垣島に建立された3人の慰霊碑

石垣島

 

石垣島には、1945年に殺害された米兵捕虜3人の慰霊碑が建立されている。2020年10月、石垣島へのロケを組んだ。海に臨む石垣市の公園に、その慰霊碑はあった。すぐ隣には、唐人墓(19世紀中頃に商船バウン号で暴動を起こした中国人たちが石垣島に置き去りにされ、その後英国軍隊によって殺害されたという事件の犠牲者の霊を祀った墓 中国風のきらびやかな外観で観光名所になっている)がある。

 

石垣島に建立された3人の慰霊碑


2001年に建立された経緯について、毎年慰霊祭を行っている関係者に話を聞いた。地元の建設会社で役員を務める金澤孝子さんだ。琉球大学名誉教授で八重山諸島の「戦争マラリア」について研究をしている篠原武夫さんから大浜長照市長(当時)に提案があったという。「戦争マラリア」とは、日本軍がマラリアの有病地帯へ住民の避難を強いたことから、八重山諸島の3600人余がマラリアに罹患して犠牲になったという史実だ。この史実を掘り起こす中で見つかった「石垣島事件」の犠牲者について、慰霊碑を造りたいという市長からの相談を受け、建設会社の社長だった孝子さんの父、識名信用さんが協力することになったそうだ。建立後は米兵たちの命日となる4月15日に慰霊祭を行っているが、実は島の人たちは石垣島事件について、あまり知らないという。

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この記事を書いたひと

大村由紀子

RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。

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