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取り調べでは「虚偽の供述」強要も~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#20

スガモプリズンに収容されていた人たちが、1952年5月12日に出版した「戦犯裁判の実相」という書物がある。戦犯に問われた人たちが、自らが関わった事件や裁判について、記録を残そうと製作したものだ。1981年に復刻発行されている。この書物から石垣島事件の被告たちの取り調べ状況が明らかになった―。

「今日中に銃剣で刺突したと云え」

福岡で取り調べを受けた土手町刑務支所(現・福岡市中央区)

(二等兵曹:第二回取り調べ)
「同年9月15日から24日まで、東京の総司令部法務局に於いて、二人の検事の取り調べを受けたが、何の拷問も強迫も受けなかった。ところが、25日に又、前記ダイヤーと山口通訳が現れ、いきなり私が腰掛けている椅子を蹴飛ばして、顔を殴りつけ、『是非、今日中に俘虜を銃剣で刺突したと言え』と迫った。私はついに真実を曲げて処刑に参加したと言い、一生の不覚をとってしまったのであった」

この二等兵曹は、捕虜を現場に輸送し、処刑の現場には居たが、懐中電灯を手にして必要なところに照らしていたので、銃も所持せず、刺突には参加していなかった。しかし、執拗に「処刑に参加した」という調書への署名を迫られたという。暴行したかと思えば、甘言をもって誘導しようとする場面もあった。

虚偽の処刑参加を自白

戦犯が収容されたスガモプリズン(東京)

(ダイヤー調査官)
「君が処刑に参加したという陳述書を書いて署名すれば、今日の夕方は家に帰してやる。そして後日裁判が行われたら、単に証人で呼び出すかもしれぬ。しかし、もし『処刑に参加していない』という陳述書を君が書けば、巣鴨拘置所に入れて『処刑に参加しました』と書くまでは拘置所から出さぬ。君はどちらを選ぶか」

結局、総司令部法務局に通うこと15日間、4度も「自分は処刑に参加しておらず、何もしていない」という陳述書を書き上げたものの、どれも破って捨てられ、受け付けてもらえず、仕方なく最後には「虚偽の処刑参加」を自白した形で署名させられたという。この二等兵曹は、1審で絞首刑を宣告され、約1年後、重労働20年に減刑された。1954年12月に仮出所している。

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この記事を書いたひと

大村由紀子

RKB毎日放送 ディレクター 1989年入社 司法、戦争等をテーマにしたドキュメンタリーを制作。2021年「永遠の平和を あるBC級戦犯の遺書」(テレビ・ラジオ)で石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞審査委員特別賞、放送文化基金賞優秀賞、独・ワールドメディアフェスティバル銀賞など受賞。

【あるBC級戦犯の遺書】28歳の青年・藤中松雄はなぜ戦争犯罪人となったのか

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