石破首相は衆院解散後、ラオスの首都ビエンチャンでのASEAN(=東南アジア諸国連合)首脳会議に関連する会合に出席した。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長が10月14日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、日中首脳会談を中心に「石破外交」の“ファーストスクラム”を採点した。
国交正常化した田中角栄氏の言葉を持ち出す
石破氏が臨時国会で首相に選出されたのが10月1日、そして9日に衆院を解散した。それを終えるや、ラオスに飛んだ。慌ただしいと言えば、慌ただしい。ただ、ASEAN首脳会議は毎年、秋に開催が決まっている。各国の首脳への“顔見せ”もでき、強行軍をこなしたようだ。
石破首相は日中首脳会談、そして日韓首脳会談もこなした。会談冒頭、握手する時の石破首相の表情に注目した。韓国の尹錫悦大統領とはニコニコ顔だったのに、中国の李強首相とは固い表情のまま。どちらも初の首脳会談だったが、あまりに対照的だった。
韓国とはこのところ、良好な関係になっている。かたや、中国とは先日起きた広東省深圳での日本人児童刺殺事件、それに8月には中国軍機が長崎県で領空侵犯する事件もあった。日本での国民感情を考えれば、メディアが取材する握手の場面で、石破氏は笑顔を見せるわけにはいかなかった。しかし、会談では石破氏らしい、中国へのアプローチもあったようだ。石破氏は、李強首相にこう呼びかけていた。
「国交正常化を成し遂げた私の政治の師であり、私の政界入りを後押しした田中角栄元首相は、『日中両国の指導者が明日のために話し合うことが重要だ』と述べています」
「日中両国には協力の潜在性と、互いに懸案があるが、両政府の努力を通じて、両国民が関係発展の果実を得られるよう、李強首相と取り組んでいきたい」
確かに石破氏は「田中角栄元首相から、薫陶を受けた」と常々、語っている。田中首相が北京を訪れ、日本と中国が国交を正常化させたのが1972年9月。石破首相が言った「日中両国の指導者が明日のために話し合うことが重要だ」。これは、田中角栄氏が52年前、当時の周恩来首相と初めての会談で、言った言葉と同じだ。それをあえて、持ち出したわけだ。
田中角栄氏は「井戸を掘った人」。「日中関係。今は難しい。だけど未来を志向しよう」という石破氏の意欲だ。
石破外交のファーストスクラム
ところで、ラグビーの用語で「ファーストスクラム」というのがある。ゲームが始まって、対戦相手と最初に組むスクラムのことだ。8人ずつのフォワードの力が試され、戦う選手の心理状態にも影響を与える。私は、初めて顔を合わせて行う首脳会談も、ラグビーのファーストスクラムに似ているような気がする。ラグビーと違って、力関係を計るだけではない。相手の首脳に対して、自分を知らしめる、そして相手を知る…。その後の付き合いにもプラスの影響が出るように、という狙いを込められている。
日本と中国は長い交流の歴史があるし、漢字が中国から日本へ渡ったように共有する文化もある。日中間だから分かり合える学識を披露しながら、中国の首脳に、自分を印象付けることも有益だ。
中国は石破氏の首相就任をどう受け止めているのだろうか? 石破氏は安全保障に詳しく、本人もこの分野に強い熱意を持つ。発足した石破内閣には、石破氏を含めて防衛相経験者が4人もいる。石破氏はアジア版NATOの創設を描く。そもそも、中国は本家のNATO(北大西洋条約機構)について「冷戦時代の思考をそのまま引きずったものだ」と批判してきた。石破氏のいう「アジア版NATO」は、明らかに中国の脅威に対抗しようという構想だから、おもしろくないはずだ。
その石破氏は総裁選に挑戦する前の今年8月、台湾を訪れて頼清徳総統とも会談している。私は首脳同士の初顔合わせを、ラグビーのファーストスクラムに例えた。今回の李強首相との会談は、首脳同士が何かのテーマを決断するというものではなく、儀礼的な要素が濃かった。その意味でも、石破氏が政治の師であり、首相としても大先輩である田中角栄氏が、かつて中国側に語った言葉を、半世紀以上が過ぎた今日、石破氏が持ち出したことは、なかなか巧みだ。
本当のファーストスクラムはこれから
だが、その田中角栄氏は、その中国とのファーストスクラムで、少ししくじったことがある。先ほど紹介した1972年9月、国交正常化交渉のため北京に着いた初日。田中氏は会談で「日中両国の指導者が明日のために話し合うことが重要だ」と呼びかけたが、問題の場面は中国側が開催した晩さん会で起きた。田中首相のスピーチに、こんなくだりがあった。
「わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」
これを日本外務省の通訳が、中国語に翻訳して紹介した。「多大なご迷惑」。中国語に訳された、この「ご迷惑」という表現は、中国では「軽い謝罪」、女性のスカートに誤って、コップの水がかかった時などに使う程度の表現。つまり、中国大陸でかつて日本軍が行った侵略行為は、誤って水をかける行為と同じレベルなのか、と中国側が怒って、のちの協議で大きな問題にした。
同じ漢字を使う日本と中国だが、言葉のニュアンスが違うことがある。日中の間は、距離的にも近いだけに、逆に摩擦も起きる。
李強首相と会談した石破氏の言動や所作を、中国側も分析しているはずだ。ただし、習近平一強時代の中国にあって、やはり石破氏はその習近平主席にどう向き合うかが、そちらがずっと重要だ。石破氏が習近平氏と会ってこそ、本当の首脳会談。本当のファーストスクラムといえる。その場面はちょうど1か月後、南米ペルーで開かれるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の場で、実現するだろう。
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この記事を書いたひと
飯田和郎
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。