【水中映像】モンゴル軍襲来“元寇船”の碇、741年ぶりに長崎沖で引き揚げ~視界不良の泥中

鎌倉時代にモンゴル軍が数千の軍船で攻めてきた“元寇”。襲来した船の「碇」が今月、長崎沖の水深20メートルを超える海底から741年ぶりに回収された。JNNのダイバーチームはその瞬間に密着。6~7メートルはあったとみられる木でつくられた大型の碇は、幾多の時代を越えてもなおその姿を残していた。資料価値の高い“遺物”を壊さないように慎重に動かすノウハウが得られたことは、まだ海底に眠る元寇船“本体”の引き揚げにもつながるマイルストーンだ。

約10年がかりのミッション「海底から引き揚げよ」

元寇船の「碇」が見つかったのは今から9年前の2013年にさかのぼる。先立って2011年に船本体が長崎県松浦市の鷹島沖の海底から見つかり、ほぼ同じ場所で碇も発見された。長さ1メートル75センチの木材と四角い石が残されていた。これまでに鷹島で見つかっていない形の碇だった。

「大型の船のものではないか」と推測したのは松浦市の調査を主導した國學院大學の池田栄史教授だ。歯の部分は2メートルほどあり、碇としては大型の部類に入るという。

しかし、当時は引き揚げようにも、保存する技術や場所も資金も十分ではなかった。そこで松浦市は腐食しないよう碇に土のうを積み、海底の泥の中にいったん埋め戻し、時が来るのを待っていたのだ。

引き揚げの山場は“横スライド”だった

池田教授は胸を躍らせた。碇の引き揚げが成功すれば“次のステップ”が見えてくるからだ。船本体の番だ。そのための「実験」は、松浦市の文化財保存事業として先月15日に始まった。

池田教授「遺物を引き揚げ保存処理するノウハウを確実に得られます。非常に重要な実験的な作業であるし、次のステップにもう一段上がっていくことになる。ここまで来るのに何年もかかりました」

碇は鎌倉時代から令和まで鷹島の南岸に眠っていた。「元寇の船」が確認された場所のすぐ北側だ。本来は6~7メートルあったものの、水中に露出していた部分は腐食して失われたと考えられている。作業が大詰めを迎えたこの日、RKBの記者も薄暗い海底に潜った。

RKB今林隆史「碇が見つかったのは水深20mを超える海底で、多くの泥が漂い薄暗く、数十センチ先を見通す事もできません」

過酷な環境の中、引き揚げチームは“埋め戻し”に使われた土のうなどを取り除いていった。そして移動用の“架台”に碇を載せる。松浦市文化財課の早田晴樹さんは「山場の作業だ」と話す。

ダイバーは4人がかりで碇を持ち上げた。そのまま「横移動、横移動」と合図しながら台の上にスライドさせた。成功だ。池田教授も「一安心ですね」と顔をほころばせた。

741年ぶりに水面に現れた日

水平方向にスライドさせたら、今度はいよいよ垂直に引き上げる時だ。10月1日、水面近くまで浮上した碇が岸壁の横にやって来た。そして、ついにその姿が海面からのぞいた。

RKB今林隆史「いま海中から碇が持ち上げられました。破損しないようゆっくりと慎重に作業が行われています」

フナクイムシの食害で欠けた部分はあるものの、木目がはっきり見え、しっかりと形が残っていた。感動を共有したのは作業チームだけではない。約2000万円の事業費のうち半分はクラウドファンディングで集められたため、寄付した人たちも引き揚げの様子を間近から見守っていた。

出資した人「この瞬間を間近で見られ、うれしかったというかびっくりしました」「クラウドファンディングをやった甲斐があったな!水中遺跡の発掘は、日本で例が少ないから貴重な体験です」「どんどんいろんなものを揚げて欲しいですね」

最近になって技術が確立“遺物を未来へ”

海中に長年眠っていた木材は、もろく劣化しやすい。そのため、引き揚げられた碇は、約2年かけて糖類の一種・トレハロースで“補強”されることになる。

松浦市・友田吉泰市長「海洋国家日本には水中遺跡が数多くあります。遺跡のある自治体で活用していこう、引き揚げようという世論が盛り上がっていくことが大切」

鷹島沖では、これまでの池田教授らの調査で複数の船が沈んでいることが確認されている。調査チームは、大型の木材を早く安く、そして安全に処理する方法を確立し、将来的には船の引き揚げを検討するという。

國學院大學・池田栄史教授「次に大型船が揚がったときにどのような調査をして保存するか分かってくる。碇はそのための貴重なサンプルなのでとっても楽しみにしている」

海に眠る沈没船の保存やその活用法の確立を見据えた碇の引き揚げ。元寇の遺物を未来へ残すための取り組みは次のステージに向かう。

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