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消えない黒煙 ~ 原爆はなぜ長崎へ ~

2020年第20回
制作:RKB毎日放送
ディレクター:筒井 浩

「自分がやったことで長崎に原爆が投下されたかもしれない」。宮代暁さん92歳。
終戦から75年が過ぎた今もその思いは消えません。宮代さんは長崎に原爆が投下された1945年8月9日、B29の攻撃を防ぐため北九州市の八幡製鉄所でコールタールを燃やして煙幕を張ったと語りました。当初、米軍の第1目標は北九州市小倉でしたが視界不良で長崎に変更。その原因はこれまで天候と前日の空襲の煙とされてきました。
当時16歳だった宮代さんは8月9日朝、空襲警報を聞いた上司の命令で煙幕装置に点火。空を覆い隠すほどの黒煙が上がったことを確認し、地下壕へ避難しました。それから約30分後、新型爆弾で長崎が攻撃されたことを知ります。米軍資料には原爆投下を3回試みたが目標が「もやと煙」で見えず、第2目標だった長崎への攻撃を決定したとあります。煙幕が小倉への原爆投下の見送りに影響したかはわかりません。長崎では約15万人が被爆直後に死傷しました。宮代さんら煙幕作戦に携わった人逹はその事実を語ることができず戦後を生きてきました。「暗たんたる気持ち、長崎の人に迷惑をかけた」。戦後、一度も長崎の地を踏むことはなかった宮代さん。その祖父に代わり長崎を訪れた孫娘と母。その目に映った長崎の今と過去とは。番組では、終戦から75年を経過した今も重い記憶を背負い生きる宮代さんと家族を通して戦争の罪を問います。

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