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沖縄県知事の訪問を歓迎する中国の思惑は?ウォッチャーが解説

沖縄県の玉城デニー知事が7月3日から中国を訪問している。さまざまな国の思惑の渦中にある沖縄県という地方の行政組織が、独自に外交を進める理由とは? また、知事の訪問を中国はどう受け止めているのだろうか? 東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長が、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で解説した。

沖縄県知事の訪中目的は「経済」と「独自外交」

玉城知事は「日本国際貿易促進協会」(=通称・国貿促)の訪中団に加わり、7月3日から中国を訪問している。国貿促とは中国との経済・貿易活動を進めようという経済界の団体で、河野洋平・元衆院議長が団長を務めている。

訪中の目的は主に二つある。一つは経済。沖縄の位置する地域的特性を生かし、沖縄を中継した貿易や沖縄への中国からの投資を拡大することと、中国人観光客の沖縄誘致だ。新型コロナ流行前の2019年、沖縄県を訪れた外国人観顧客は250万人で、うち約25%にあたる61万人が中国からだった。中国各地との間を結ぶ航空路線も多い。観光産業は沖縄経済の柱であり、知事としては自ら訪中して、中国人観光客の来訪をさらに増やしたいだろう。

もう一つは沖縄県独自の「外交」だ。沖縄県は重要施策として、アジア太平洋地域において平和の構築に貢献する「地域外交」を位置付けている。今年4月には、県庁内に「地域外交室」という部署を新設した。

地域外交室を立ち上げたあとの知事の外国訪問は、韓国に続き2か国目だ。知事は出発前、この東アジア地域で、緊張が高まっていることを踏まえ、訪問の意義について「不安視するよりも、アジア全体が平和であってほしいということから、いろいろな国、地域とつながり、互恵関係を続けていきたいと伝えたい」と話している。

沖縄駐留のアメリカ軍の基地問題、それに南西諸島では自衛隊の拠点整備が進む。沖縄県は日本の安全保障における要衝だ。国と対峙することも少なくない玉城県政としては、独自の戦略もあるようだ。

習近平国家主席が中国と沖縄の歴史について言及

さらに、沖縄の歴史的要素も、知事の積極姿勢の要因として大きいのではないだろうか。沖縄、かつての琉球と中国は、12世紀の宋の時代に貿易を行っている。琉球王国は14世紀から19世紀にかけては中国の明、のちに清への朝貢貿易を行ってきた。

一方、沖縄の歴史をたどると、17世紀の初めに薩摩藩が琉球に入った。琉球は薩摩藩と中国・明の双方から、いわゆる「二重支配」される時代が長く続いた。そのような歴史に関連してか、中国側から気になる動きが出ている。

習近平主席は6月1日、古文書を収集・展示する国家の資料施設を視察した。その詳細が後日、中国の共産党機関紙「人民日報」に報道された。こんな場面がある。資料施設の解説員が習主席にこう言う。

「これは重要な政治的意味合いを有する古書の版本(木版に印刷された本)です」

「釣魚島や、その付属の島々が中国の領土に属することを示す、古い版本の記述です」

釣魚島とは、日本の固有の領土、尖閣諸島の中で最も大きい魚釣島を指す。明が派遣した使節団が、この尖閣諸島をめぐる様子を描いている。解説員は「尖閣諸島が中国のものだった、ということを示す資料」と、習主席に説明した。

「人民日報」は、習近平主席の視察を報じる中で、わざわざ、その部分を取り上げたわけだ。習近平氏は、南部の沿岸に位置する福建省で17年間も勤務した。そのことを受け、こう語っている。

「私は福建省の福州に勤務していた際、福州には琉球館や琉球墓があり、琉球との交流が長く深いことを知りました」

琉球館は琉球王国が福建に置いた出先機関だ。また、琉球墓は福建で亡くなった琉球出身者の墓を指す。ここまでなら、海をはさんで沖縄と福建省のつながりを示すものとして理解できるが、さらにこう続けた。

「そして、福建出身の多くの人々が当時、琉球へ移住したことも知っています」

多くの福建人が海を渡って琉球へ移り住んだ――。14世紀、明の皇帝から琉球王国へ与えたとされた福建出身の職能集団で、沖縄では今日「久米三十六姓」と呼ばれる。渡来した人は36もの苗字があった。それほど多くの人が渡った、ということだ。那覇市には今も「久米」の名前がついた町があり、沖縄には末裔たちが暮らす。

習近平氏の発言は、「尖閣諸島を含め、琉球=沖縄は、中華文明の影響下にあった」と、中国と「琉球」の関係の深さ主張しているように受け止められる。

県知事訪問にタイミング合わせて日本をけん制か

玉城知事は、習近平氏の発言について「今後の交流発展に意欲を示したと受け止めている」と冷静に受け止めている。ただ、沖縄は尖閣諸島の帰属問題に限らず、日本と中国の間でいまだ、敏感な場所でもある。

歴史をたどると、建国の父、毛沢東は戦前の1939年に、沖縄についてこんな論文を書いている。「沖縄は、帝国主義国家が強奪した『数多くの中国の属国と領土』の一つである」。その後、このような主張は消えた。

だが、今世紀に入ると、「中国は沖縄に対する権利を放棄していない」、または明治政府による琉球併合(1879年)も、戦後の沖縄返還(1972年)も国際法上には根拠がない」と主張する研究論文が発表され始めた。関連した論文は数十本に上る。沖縄がかつて琉球王国時代に中国との交易で栄え、中国に従属する地位にあったことを根拠にしているわけだ。

2005年や2010年に、中国各地で反日デモの嵐が吹いた。デモの中には「琉球を奪回せよ、沖縄を解放せよ」と書かれた横断幕も登場した。デモは陰で、当局が操っていたとみられる。今日に至っても、中国は沖縄を駆け引きの材料にしてしまいかねない。

沖縄に関する習近平氏の発言は、沖縄だけではなく、地理的に近い台湾を、視野に入れながら、日本をけん制しているようにも思える。沖縄県の玉城知事は駐留米軍の基地問題で、政府との関係がぎくしゃくする。その玉城知事の中国訪問に、タイミングを合わせたような動きにも思える。

変わらない「沖縄ゆえに」という事情

玉城知事は昨年11月に、中国の有力紙による単独インタビューに応じている。知事本人は基地問題について、いつもの主張を述べているだけだが、中国のメディアでは、「県民は基地負担にこれ以上、耐えきれない」「辺野古の基地建設には同意していない」などの部分が強調されていた。アメリカ軍の基地負担の軽減を求める玉城知事を、中国は歓待している。

その玉城知事はきょう7月6日とあす7日の2日間、沖縄県と友好関係にある福建省を訪れる。先ほど紹介したように、習近平氏が17年も勤務したゆかりの地だ。友好関係を結んで26年になる。

沖縄は古くから、中国や朝鮮、アジアの国との間で、海洋貿易国家として栄えた。一方で、その地政学上の特性のため、さまざまな国の思惑の渦中にあった。沖縄県という地方の行政組織が、独自に外交を進めるのは、注目されるが、他の自治体と違い、「沖縄ゆえに」という事情が存在するのは、21世紀の今日になっても変わらないように思える。

◎飯田和郎(いいだ・かずお)
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。

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