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生誕400年・平戸生まれの「中台の英雄」鄭成功で見る“初夢”

飯田和郎

中国や台湾で今も英雄とされる鄭成功という人物を知っているだろうか? 今年2024年は鄭成功の生誕からちょうど400年にあたる。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長は1月4日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で、鄭成功の生涯を紹介しながら、目前に迫った台湾総統選挙とその後の中台関係を展望した。

目前に迫った台湾総統選

ウクライナ戦争も、パレスチナとイスラエルの紛争も、年を越した。今年も国際社会は平穏とは言えないようだ。そして選挙の年でもある。1月13日には台湾総統選挙、3月にはロシア大統領選挙。そして11月にはアメリカ大統領選挙がある。

その3つのうち、ロシアの大統領選挙だけは、結果がすでにわかっているようなものだ。一方、日本に住む者として中国と台湾の関係が今後、どうなっていくか気になる。台湾総統選挙は、その中台関係が最大の焦点だ。

選挙の結果を占うのは別の機会にして、今回は正月らしく「初夢」を見たい。それも中国と台湾、それに日本の関係がうまくいきますように、と願いながら。

人形浄瑠璃「国姓爺合戦」の主人公

鄭成功(てい・せいこう)という歴史上の人物、英雄を知っているだろうか? 名前になじみがなくても、近松門左衛門がつくった人形浄瑠璃「国姓爺合戦」の主人公といえば、わかるのではないか。歴史の教科書で、江戸時代の文化を紹介する中に載っていた。

鄭成功祖廟

中国や台湾で今も英雄とされる鄭成功。実は、生まれは日本だ。現在の長崎県・平戸で生まれた。お父さんは中国出身。お母さんは、その平戸の人(=父は中国人、母は日本人)。そして、今年は鄭成功の生誕からちょうど400年にあたる。この400周年が、初夢のポイントだ。

鄭成功の父親は中国の貿易商。江戸時代初期、当時の肥前の国・平戸藩から認められ、平戸を拠点に活動していた。そこで一人の女性と知り合う。名前は田川マツ、鄭成功の母親だ。寛永元年(=1624)7月に産み落とした男の子、名前は田川福松(たがわ・ふくまつ)。この子が、のちの鄭成功だ。

母親のマツは、平戸の海岸で貝を拾っている時に、急に産気づいた。マツは家に帰る間もなく、浜辺の岩に、もたれかかって福松を生んだとされる。今も、平戸の千里ヶ浜(せんりがはま)には大きな誕生石が残り、「鄭成功 生誕の地」になっている。平戸大橋を渡って、車で10分ぐらいだ。

福松は7歳になった時に、父親の故郷である、今の中国福建省に移った。中国の当時の王朝は「明」。父親は「明」の有力者になっていた。鄭成功を名乗るようになった福松少年はある時、「明」の皇帝に謁見することになった。皇帝は、賢い彼をおおいに気に入った。皇帝は天下を治めている天子の姓と同じ姓「国の姓」(=国姓)を、鄭成功に与えた。

それは「朱」(=朱色の朱)という姓だ。鄭成功は「畏れ多い」と感じて、「朱」という姓を使おうとはせず、「鄭」という姓で通した。だけど人々は、天子様から「国の姓を賜った人物」という意味で、鄭成功を「国姓爺(こくせんや)」と呼ぶようになる。近松門左衛門の浄瑠璃「国姓爺合戦(こくせんやかっせん)」の由来にもなっている。

外国勢力を駆逐した英雄

そして、田川福松は鄭成功となって、歴史の中で活躍していく。

「明」は、やがて中国北方の「清」によって、滅びる。日本人である母親のマツはこの時、中国・福建に移り住んでいたが、「清」の攻撃で城が落ちる際に自害している。

鄭成功は「明」に忠誠を誓い、わずかに残った軍勢を率いて北上し、「清」と戦い抵抗運動を続けた。ただ、うまくいかず、鄭成功は退却。態勢を立て直すために選んだ拠点が、自分が育った中国・福建と、台湾海峡をはさんで対岸にある台湾だった。

鄭成功に降伏する守将の銅像

平戸で生まれた鄭成功が、中国・福建省で育ち、そして、台湾に上陸する。これで日本、中国、台湾が三角形になって結ぶつくわけだ。

台湾は当時、オランダ東インド会社が統治していた。東インド会社といえば、現在のインドネシアを中心にアジアにネットワークを築き、長崎の出島にも来て貿易していたことで知られる。

鄭成功は台湾の南部、現在の台南にあったオランダの城を攻め落とした。そして東インド会社を台湾から追い出した。1662年のことだ。鄭成功は37歳の時。台湾に政権を打ち建てたものの、ほどなく台湾で病死している。説明が長くなったが、鄭成功はある意味で、日本、中国、台湾の歴史。それに外国勢力を駆逐した英雄という意味合いを持つ。

鄭成功の功績を讃える施設が中台各地に

鄭成功記念館

その鄭成功が誕生して、今年はちょうど400年。

鄭成功が生まれた平戸市では毎年、誕生月の7月に生誕祭が開かれている。鄭成功にちなんだ施設も整備されており、観光資源になっているようだ。今年は生誕400周年記念ということで、例年以上に、さまざまなプロジェクトが動き出している。

当然、中国や台湾では、鄭成功はヒーローだ。小説やテレビの時代劇で描かれてきた。海を越えて活躍したというロマンも人気の秘訣なのだが、ちょっと歴史に絡んだ国際政治も関係した意味合いを持つ。つまり、台湾でオランダ軍を打ち破り、漢族による政権を樹立したという、鄭成功の偉業だ。中国や台湾の近代史は、「列強諸国に搾取され続けた」という負の歴史から切り離せない。列強の一つ、オランダを駆逐したのが鄭成功なのだ。

中国 厦門 コロンス島 鄭成功像

鄭成功の功績を讃えて、中国や台湾にはたくさんの施設がある。中国の福建省には海に向かって立つ巨大な鄭成功の像がある。台湾の名門大学の一つに、成功大学がある。台湾の海軍が持つフリゲート艦には「成功」の名前が付く。いずれも鄭成功にちなんだものだ。

冒頭に述べた「初夢」とは…?

中国、台湾問わず、鄭成功はヒーローだが、そうは言っても中台の間となると、台湾の統一という問題を避けられない。そういう中で、総統選挙が行われる。結果次第、つまり誰が当選するかで、中国と台湾の距離は、遠くなるかもしれないし、反対に近くなるかもしれない。

ただ、結果にかかわらず、中国も、台湾も、今年迎える鄭成功生誕400周年を利用・活用してもよいのではないか。たとえば、7月に平戸で開かれる鄭成功生誕祭に合わせて、中国と台湾それぞれの政府の文化部門の高官が、平戸で顔を合わせて、鄭成功について語る…など。

ちなみに、台湾の総統選挙でややリードしているとされる頼清徳氏は、鄭成功が上陸した台南で市長を経験している。一方の習近平氏は、鄭成功が青年期を過ごした福建省のトップを務めていた。そういう意味では2人とも、鄭成功とは「縁」がある。

日本がホストになって実現する中台首脳会談。「平戸で中台首脳会談」=それが最高だが、そこまでいくと、現段階では「実現しない初夢」で終わってしまう。ただ、中台が共有できる歴史や、文化は、話し合いの入口になるだろう。私はそんな「初夢」を頭の中で描いてみた。

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この記事を書いたひと

飯田和郎

1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。