4月29日、春の叙勲が発表された。同じ時期、中国でも若者を対象に勲章を贈る制度がある。東アジア情勢に詳しい、飯田和郎・元RKB解説委員長は、5月2日に出演したRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で「今年の表彰には特別な意味がある」と語った。節目を重んじる中国ならではのその「意味」とは…?
春の叙勲に「懐かしい名前」
春の叙勲は長年、社会に多大な功績を重ねてきた方々に与えられる。今年の受章者は4108人、うち外国人は49の国・地域の101人だった。私は名簿の中にあった、ある外国人の名前を目にし、とても懐かしさを感じた。
旭日双光章が贈られるその人物は元プロレスラーのタイガー・ジェット・シンさん(80歳)だ。シンさんは、インド出身。反則を繰り返すような悪役レスラーだった。付けられたニックネームが「インドの狂える虎」。頭にターバンを巻いて、サーベルを片手に登場していた。何と言っても、「燃える闘魂」アントニオ猪木さんとの数々の名勝負、死闘に興奮した。
だが、悪役はリングの上だけで、実はジェントルマンだ。大の親日家でもある。居住するカナダで慈善団体を運営し、東日本大震災で自宅を失った子供たちに義援金を贈ったこともあった。
中国にもある勲章授与制度
本題はここからだ。日本では毎年、春と秋に叙勲、それに褒章が与えられる。同じく中国でも毎年この季節に、社会に功績があった人たち、特に若い世代に、ある勲章を授与する。
日本語に翻訳すると、「中国青年五・四勲章」という。中国共産党の青年組織「共産主義青年団(共青団)」の中央委員会が、社会に貢献した若者個人、それに団体を、全国から選出して「五・四勲章」を与える。
数字の5と4は5月4日を指す。中国ではこの日を「青年の日」に定めている。これに合わせ、今年の「青年五・四勲章」受章者が4月29日に発表された。
受章者は、科学者や技術者、軍人、パラリンピックの選手、社会を支えるボランティア、また厳しい環境にある僻地でインフラ整備に当たる建設作業員などなど。そのほか中国の支援によっていま、インドネシアで高速鉄道の建設にあたる者たちなど、国外で働く若者や団体の対象になっている。
中国で5月4日といえば「五・四運動」が有名だろう。歴史の教科書で習った記憶があるはずだ。
近代中国において、ナショナリズムを示した最初の機会と言ってよいかもしれない。今の習近平政権が強調するのも、このナショナリズム。この「五・四運動」は、日本も深く関係する。
第一次世界大戦後、1919年(=大正8年)5月4日、北京の学生を中心に行われた街頭行動に端を発する。ひと言で言うと、反日・反帝国主義運動だ。日本の中国侵略を許した中国各地の軍閥に怒る市民が、ストライキを起こし、日本商品の不買運動、ボイコットも行われた。
「21か条の要求」というのも記憶にあるだろう。これは「五・四運動」の4年前、1915年に日本政府が当時の中国の政権に、21か条からなる要求を突き付けたものだ。中国国内における日本の権益拡大を強要する内容で、そのほとんどを、中国側に承諾させた。
それによって、日本の中国侵略に拍車がかかった。これが、「五・四運動」という民族運動の導火線になった。「21か条の要求」を、中国側が受け入れたのが5月9日。ちなみに、中国にはいくつかの「国恥日」があるが、この5月9日はその一つだ。
2024年は中国にとって「節目の年」
若者が主導した「五・四運動」にちなんで、毎年5月4日が「青年の日」。そして、社会に貢献してきた若者を、共産党の青年組織が表彰するようになった。勲章を与える共産主義青年団は、受章者たちをこのように表現している。
「彼らは、共産党に揺るぐことなく従い、共産党と共に歩み、初期の使命を忘れることなく、誠実な献身と勇敢な努力をしてきた」
「中国共産党の指導を忠実に実践してきた模範青年」ということだろう。今の中国共産党は、この「五・四運動」の影響によって、「五・四運動」の2年後の1921年に誕生し、現在に至る。その共産党が政権を獲って今の中華人民共和国ができた…。だから、5月4日は特別な記念日なのだ。
中国共産党は「節目」を大切にする。この表彰は、毎年の行事だが、今年はさらに二つの意味を持つ。2024年は中華人民共和国の建国から75周年。つまり「四分の三世紀」という節目にあたる。もう一つ「五・四運動」が起きてから105周年でもある。
今の中国が「中華民族の偉大な復興」を掲げるだけに、このような模範的な若者の活動を、例年以上に大々的に宣伝しているというのも、理解できる気がする。
中国は敏感な時期に…
ただ、さらに「もう一つの節目」が気になる存在だ。今年6月4日は、天安門事件から35年にあたる。中国における節目とは、一般的に5年ごとで、あの天安門事件にも節目が来る。天安門事件は、1989年6月3日から4日未明にかけて、北京の天安門広場で起きた、民主化を求めた学生、市民を人民解放軍の戦車と銃で制圧した惨事だ。
105年前の「五・四運動」には、35年前の天安門事件と共通点がいくつかある。主役が学生であること、場所は北京の天安門から始まったこと。「五・四運動」は反日・反帝国主義運動であるとともに、それを許した当時の指導者たちへの怒りもエネルギーになった。その意味においても、天安門事件と共通している。
今の習近平政権からすれば、2024年は建国75周年、「五・四運動」105年は祝いたい。だから、共産党に忠実な模範青年たちを「五・四運動」記念日に合わせて表彰し、宣伝したい。中華民族の意識を高めたい。だけど、高揚した若者のエネルギーが、望まない方向に向けられては困る。
天安門事件から35年が経つ。事件後生まれた人、事件を知らない人、つまり35歳以下は総人口の半分を占める。天安門事件は確実に風化している。だが一方で、35年前の天安門事件を知らなくても、閉塞した社会への不満・不安は確実に増えている。中国経済の不振は、若い世代ほど大きな打撃を受けている。
「五・四運動」を記念することは、共産党、そして中華人民共和国、つまり今の中国のルーツを確認する行事。そこには、中国を侵略した国家・日本という対象が存在する。当然、強調すればするほど、ナショナリズムが高揚する。それは時に沸点を超えた行動に至ることもあり得る。
中国の近現代史を振り返ると、社会変革・体制変革を促すのは、若者たち、とりわけ知識を持つ大学生だった。だが、今は過去に例を見ないほど、厳しい統制下にあり、若者たちは表面的にはものを言わないし言えない。ただ、内では沸々としたエネルギーはたぎっているのではないだろうか。
そのエネルギーがなにかのきっかけで、行動になり、それがどこに向かうのか。習近平指導部としては、警戒すべきことだ。5月4日の「五・四運動」記念日、その1か月後の天安門事件が起きた6月4日、中国は敏感な時期に入っていく。
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この記事を書いたひと
飯田和郎
1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。